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- 03/09 [PR]
- 08/17 アイドルと性愛(2)
- 08/17 タイトルを変えて
- 08/14 アイドルの時代と性愛について(速記)
- 08/02 昼顔、映画るろ剣、表面的消費について
- 07/28 散文(「狂人の断想」より抜粋)
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(つづく)
アフォリズム形式でちまちまと連ねている「狂人の断想」という作品があったのですが、
「詩的影像(仮」 といったんして、またこの単語に何か加えて最終タイトルにしようと決めました。
「影像」というのは少なくとも、ホッブズ『リヴァイアサン』の第一部に出てくる議論・概念で、原義が気になるところではありますが、まぁちょっと思いつきです。
そのなかからまた一つ載せてみようと思います。
ブログに、書きたいことがたくさんあるのですが、いろいろいそがしくて、書く時間も取れず。
でも、
・アイドルと性愛の関係について
これはけっこう拡がりそう
だし、
・ドラマ「昼顔」レヴュー
こっちもきちんとやりたい!
しかし、直近では、指原梨乃『逆転力 ~ピンチを待て~』という人生論の新書にカルくやられてしまったので(笑)、その書評をやろうかなと思います。
さしはらさんすごいから・・・笑
それではひとつ、
「フロリダからコーヒーへ」
フロリダから一種の防衛戦―線をはってここまでつなぎとめる、苦いコーヒーの味。暑い夏だからレモン果汁がよく染みる。私この前筑波に行きました、とてもクリーンな街並みでした、それ以上も以下もなし。そのあいだにもこぼしたコーヒーでできた一本の線に、蟻が群がる群がる、レモンの果汁に群がる群がる。それは駄目です、捨てておきなさい違うんだ母さん。所詮は子供、さりとて百七十回の奇跡をおこなう。白い宝石を見つけた時が全てのはじまりだった。そうこうしているうちに蟻は群がる、こぼしたコーヒーとレモン果汁に蜜を求めて群がる群がる。おい、今鐘の音が聞こえなかったか、幸せの音が、いやあれは単なる時報だ。鐘の音を聞いて神経症にかかった老人がいた。今や群がった蟻はたちどころに黒々とした領域を作って、こぼしたコーヒーやらレモン果汁やらを全て埋め尽くしてしまった、それらの存在など跡形もなく奪い取ってやるかの如く。
それでは。 ういろう
この記事の表題であるが、アイドルをめぐる社会の目線は、明らかに、一般の人々にしてさえ、間接的あるいは直接的な意識への規定作用をなしていると思われる、性愛という点において。
性愛とは、性に基づく私たち人間の行動や意識の様態のことである。
AKBが「国民的アイドル」と称されるようになってから、人々の性愛行動は少しずつ変わっていっていると私には思われる。むろん一部であるが、それは性愛の領域と他の領域との関係図式が変わってきたからだ。
端的に言うと、性愛を狭い場所に閉じ込めるアイドル時代の精神は、(1)生々しいキスや恋愛、そしてセックスを匂わすものを予め排除する、(2)のだが、結局性愛というものは完全には押し込め切れないものだから、暗き場所からの噴出として、まさに「暗きもの」と再定義されて噴出してくる、(3)その噴出したものを捉えて、例えばスキャンダル誌などで取り上げる
といったものである。AKBは分かりやすくアイドルメンバーに「恋愛禁止」という行動規制を掲げる。その代償として、やらかしてしまった者に対しては、ファンのルサンチマンやら関係ない人々の騒ぎたい一心やらが混ざって、非常なスキャンダルとしてマスコミに報じられたりする。つまり制圧を受けるのだ。
その片方で、性愛は、特にセックス行為を内包する性愛は、本当に狭い所に隠匿され、秘匿され、押し込められる。
私たちは、「クリアで健全な社会」の表象を演じる代わりに、「ウラの顔」をそれとして代理=表出させる。
しかし、このウラの顔がバレたりすると、ふたたびクリアで権力を持ったほうの社会が再攻撃を加え、私たちのウラの顔にはさらに「暗い」ものが付与される。
、、、、結果として、次のような事態が待ち受ける。
(A) 我々は、たしかにクリアで健全な社会を常態として受けるが、その中でコミュニケーションを楽しむという新たな性愛(?つきの、だ)の様態を創出しつつある、
(B) 隠匿されたものとしての性愛の様態も、その政治力学(発見される、バラされる)関係を続行する
といった具合にだ。 ういろう
とっても面白かったです。というか昼顔は現代的ですよね。セックスレスの夫婦間の問題とかを如実に扱っている。
微細にわたる描写も面白い。ダントツで面白い(笑)
・映画「るろうに剣心」
まだ最新作「京都大火編」は見てないのですが、今日第一作の再放送を見て、改めて面白いなぁと思いました。
キャラの再編成だけなら、どの監督でもある程度は再現できると思うんです。
演技もうまいけど…。
まず、アクションがいいですよね。それは分かる。
そうじゃなくて、内容が非常に面白い。簡単な言葉で言えば深い。もともと「るろ剣」はこういう作品だった事を思い出させてくれます。
逆刃刀というのは、人を殺さずに「活かす剣」。 しかし、人斬りの権化であるじんべえや、斎藤などは、「なにをあまっちょろい正義を」と一括するわけです。
これは例えば、人斬りに容赦のないじんべえや、絶対的悪である志々雄真実に立ち向かう時、「彼らを殺さずして、正義はまっとうできるのか」という極めてクリティカルな問題意識につながっている。
悪を倒すには、同じく悪=暴力を使うしかないのか。 そういえば、漫画「るろうに剣心」は、志々雄編にしろ、縁編にしろ、ずっとこのテーマを引きずっていたと思います。
めちゃくちゃ面白いじゃないですか。
るろうに剣心は、映画としても、成功していると思います。決して過大評価ではありません。
・表面的消費について
これについてはまだ後日(笑) いわゆる、「キャラ萌え」などの文化的消費形態は、やはり僕は問題的だと思うのです。 最近の若い人のオタクカルチャーの受け止め方にしても、その作品の内容や物語といったものをすっとばして、「キャラ萌え」とかに走りすぎていると思う。
それは、その作品を鑑賞しているということに果たしてなるのだろうか? そんな浅い受け止め方なら、いっそ作品の鑑賞などやめて、ひたすら自分たちで二次創作という自己満足の世界にひたっていればいいではないか。
これはかなり旧来的な見方/視点かもしれませんが、やっぱり僕はこういった表面/表象的な文化の消費の形については、とても危機感と言うか違和感を覚えざるを得ないので、書きました。 「キャラ萌え」など、二次的なものに留まらせておくべきではないか、むしろそれが氾濫した時、サブカルチャーはいつまでたってもそのラインを超えない気がします。
これは非常に僕にとって考えざるを得ない問題。
みすてぃ(ういろう)
「狂人の弾想」と題して、断片的な散文をつらつら書いているのですが、
ふたつほど載せます!
1つは、Nさんへ(笑) 実は、ある夜Nさんの「イメージ」で夢なのか頭の中なのかとにかくよく分からないけど、すごく綺麗なイメージもらって、それからよく考えています。
はい。 ****
那由多に拡がる空――無数の煌めき、ただ短いじかんの中で見ることのできる、感じることのできる、そんな世界があった/ある。夜だよ、夜の闇だよ、ここにはコンビニエンスストアも無いから、星がよく見えるね。天文学者の息子或いはそれに準じる者。ねぇ、なぜ星は在るのだろう、それとこの地球を見た人は青かったなんて言ったらしいけど、それは本当なのだろうか? 青い星……聡明で、透明で、たくさんの命を決して放り投げようとしない、それが地球……なのかな。星。なぜ簡単には宇宙に行けないのだろう、だってたくさんお金を持ってないと、いやそれはやっぱり、星を見れる人は限られるんだよ……なんで? 幻滅とかいろいろしちゃうんじゃないの、実際宇宙に行くとさ。成程、そういうこともあるのかもしれない、地球とあの小さな煌めきは、信じられないほど距離が遠く隔たっていて、でもその存在を確かめる術はある。そう、那由多に拡がる空、幾つもの煌めき。僕たちはいつも空を見上げて、元気をもらう。
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題するなら「那由多」ですね。
もう1つだけ。 *****
変身願望。外、を見つめることであなたは何かを取り込もうとする。夢、蝶の夢、例えばそれは夢の中の蝶のように桜の花の色をした幻想的な色彩の……。えぇ、或いは根元から、根っからの異国人なんですねという言い方が妥当であろう、金髪を敢えてウィッグで装うんです、しかしそれはほぼ精神Cの持ち主によってまた別のものに変奏=変装されていく、実に巧いやり方で。けっきょく変身は厳密な意味では失敗するのだけれども、その失敗が新たな道へ結果としてつづいていく、希望があらわれる。変身願望にとりつかれる女の子たちはいつでも時めいている。美しい、可愛い、いやグロテスク、堕落的、変態的、猟奇的、幻想的。トリツカレタラバ、今度はあなたが取りついてしまうほどに、対象を変えていくのです、あなたが蝶の夢や夢の蝶となって、胡蝶となって、跳となって――。
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感想待ってます(笑) みすてぃ(ういろう)