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第一回の内容は、別ブログ「アイドルを遠く離れて」で公開しています。
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第二回  性は生政治である


 堀江有里は『レズビアン・アイデンティティーズ』(2015、洛北出版)の第一章で「レズビアン存在」という概念を紹介している。その本書での議論は後につづけるとして、まずはこの概念の名前のインパクトについて少し付言しておこう。「レズビアン存在」。それは「マイノリティ存在」とでも呼び変えうるだろう。そう、レズビアンやトランスジェンダーなどの「性的指向」とされているものは、本質的に、存在に属するもの(とみなされる)なのである。存在論の範疇にあるということである。レズビアン〈であること〉や、本書の議論の射程を不用意に広げて、例えば精神障害者〈であること〉等も、存在として己を見つめうる契機となるわけである。それはもっと言うと、存在の「核」に根ざしている。主体―存在が主体―存在であるための、本質的条件なのだ。ではどうして、〈レズビアン〉であることや、〈精神障害者〉であることが、主体―存在の核といえるのだろうか。

 

 マイノリティは、まずもって経験的な事象でもある。過程といってもいい。そしてマイノリティは、何らかのマジョリティから区別されることを通して、大小の傷を受けるという外傷経験なのである。なぜならマジョリティはマイノリティを抑圧するからだ(この抑圧をもっと広範囲に論じる必要があるのだが今は簡単にこう記しておく)。その抑圧の過程で、マイノリティ存在は何らかの傷を体験する。マジョリティの空間の規範は、「同一性による承認」である。つまり、互いに(存在者が)同じであることを確認し合って、お互いの主体性(存在の核)を承認し合う、という構造になっている。このことは、次のことをも意味する。つまり、マジョリティ空間においては、「差異による排除」というからくりも随伴しているということだ。

 人が右利きか、左利きであるかということは、科学がどれだけ調べ尽くしたところで、結局運命論的――先天的なところは残ってくる。つまり、人が右利きになるか、左利きになるか、どちらかになるかは、はっきり言ってほとんどどうでもよい。しかし、人はどちらかにはなるであろう(若しくは「両きき」か)。左利きになれば、あなたはその先人生において必ずこう言われることになる、「あ、君左利きなんだ、珍しいね」、と。しかも際限なく、いろんな右利きの人にだ)。統計学的には、右利きの人がマジョリティ権を獲得する。しかし、現実ではそれで終わらず、数の多数を得ることによってマジョリティとなる右利きの人たちは、「右利きの人が、数的に多い」ということで、互いに同一性に基づく自己確認をし合うのである。「自分は多数派である」と。そしてここから、左利きの人を、「珍しい」とまなざすようになるのである。

 自分で選んだのではない理由で左利きになった人にとっては、以上の事柄が所与のミクロ政治として実態にあらわれてくる。つまり、「お前は少数派だ」と暗黙裡に伝えられる運命が待ち受けているのである。ここで、左利きの人は、「自分はマイノリティなのだ(この言葉づかいは必ずしも正しいとは言い難いが)」という自己認識を持ち、それがマジョリティからの差異という形で自己の存在を同定するのである。ただし、マジョリティからの差異の認識そのものでは、まだアイデンティティを獲得するには至らない。至ってはいない。

 

 堀江有里の『レズビアン・アイデンティテーズ』においては、〈レズビアン存在〉は題目の中で「不可視性」というキーワードと共になっている(三十四―四十頁)。そこには、〈レズビアン存在〉という概念の名づけのアドリエンヌ・リッチと、著者の以下のような思いが込められている。すなわち、レズビアンというマイノリティの人々は、世間や社会から非常に見えずらい形で存在している。しかも、本書が明らかにしていくように、そこにはマジョリティ/マイノリティの構図の中でマジョリティによる抑圧作用を受けることによってだけでなく、ゲイ(男性)/レズビアン(女性)という集団ないし人の属性の非対称性によっても、二重に三重に見えずらい(不可視の)人たちとして在るのである。それは、彼/女たちが自分がレズビアンであることを公言する〈カミングアウト〉という行為をおこなうときにも、重荷となってのしかかってくる。これらの不可視性を認識し、それらがどうなっているのかと暴こうとする鋭い批判意識を持つのが、〈レズビアン存在〉とあえて「存在」の名前・概念をレズビアンに付したリッチと著者の共同戦略なのである。〈レズビアン存在〉はただ承認を得てそこに「傷のつかない」主体性を持って在「るわけでは一つもない」。


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