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ピエール・ルジャンドル 『西洋をエンジン・テストする』


 ルジャンドルの講演内容と、補足を合わせたもの。ドグマ人類学の”エッセンス”との帯が付いていたことから買ってしまったが、その内容はルジャンドルの作品に慣れていないと少々たどるのが難しい。

 だから、この著作を読んだ後、『ドグマ人類学総説』の最初らへんの部分を読んで、分かったことがいくつかある。

おぼろげながら記述しておこう。

『エンジン・テスト』で最も重要な事柄の一つは、”第三項”という概念である。第三項とは何か。

それはルジャンドルが説明しているように、間に入る(=inter)、つまり媒介するものである。
ルジャンドルによると、例えば主体(人間としての主体、ということでよかろう)と社会の関係は、二項対立的(人間vs社会)といったものではなく、そのあいだに、主体―国家―社会 という風に間を媒介する概念ないし実体がある。

 interpreciate(解釈する)という語も、また同様である。 ルジャンドルによれば、この第三項=媒介物は、国家の他に、聖書やクルアーンなども含むという。 国家を、聖書やクルアーンといったものと同列に扱うのが、ルジャンドルに特有の思考だといってよかろう。

ここからは私の荒い推測になるが、ルジャンドルが”話す主体=種としての”人間にこだわるのは、

主体 - 言語 - 社会

といった風に、言語からなるもの(それは聖書であり、クルアーンであり、法であり…)は媒介としての働きのもっとも最大のものであるからである。このことから、例えばコミュニケーション社会では人間は言語なしにはなにごともなしえない、とかの帰結が生まれることになる。

 また、彼が「国家」というのも、主に「法的国家」(法治国家、でもよい)に重点を置いていると考えられる。法とはまずは言語なしにはありえず、その意味で言語の産物であり、人間はすべて言語のモンタージュ(組立)による社会を生きているのだ。

本書は難しいが、確かにルジャンドルの”ドグマ人類学”なるものへの扉を開いている。

(終)
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