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初めて読んだのはもう10年も前になろうか、表紙がボロボロになっても、あまり同じ本を読まない私が好んで何回も何回も読む小説である。
大切な人を失った母親が、子供と一緒に、いつかその人に出会えることを信じて、旅がらすのように点々と各地を暮すという、ちょっとずれた話だ。まぎれもなく、登場人物の母親である葉子は、一半の人々の観念とはかけ離れている。
しかし、江國香織はそうした人々の、全身の生を描く。いくら人が、一度失った人に連絡もなしにぶらぶらするだけで、会えるわけがないと思っていても、彼女はその夢のような一生を本当に送るのだ。
その彼女の夢は、子供の草子の思春期を容赦なく突き刺す。
寄り添っていた親子が、終盤になるにつれて絶妙な緊張感を展開していくのはかたずを飲む思いをさせられる。
―これが現実なんだよ?
私の顔を見ずにそういった。
―あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きていない。
私には、何のことだかさっぱりわからなかった。ただ、顔を歪めて泣き出した草子を呆然と見ていた。
―ごめんなさい。
小さな声で、苦しそうに草子は言った。
―なにをあやまるの?
…
―ママの世界にずっと住んでいてられなくて。
(江國香織『神様のボート』、224ページ)
本書は、親の葉子と子の草子の2人の視点から同時に語られる。
夢のような現実を狂おしく生きる人の物語は、文学にあってこそ紡ぎだされるのだ。
misty
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