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本の感想、雑感、小論考など。 小説、簡単なエッセイはこちらで→「テイタム・オニール」http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/
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久しぶりにブログを書く。

 ちなみに、これからどれくらいになるかは分からないが、『仏教から仏教へ』という題で、一連のまとまったエッセイを書くつもりである。 これに該当しない記事は、ブログのジャンルのトコロで「連載」以外のジャンルに分類するので、参考にして頂きたい。
 さらに、一つ付言しておかなければならないのは、この一連の連載は、読むのがとてもダルい部分もたくさん含んでいると思われることである。
 しかし、ここで敢えて言っておきたい。人間とは、大抵の場合、シンプルな事柄をするためにダルいことをするものだ、と。
 そうして、自分が迂回な道を取っていることに気づいても、「まっいいか」と思ってまた続けることに。それでいいし、それがいい。それくらいの気楽さと、ダルさを思って、とことん自由に本論に付き合っていただきたい。

この記事では、『仏教から仏教へ』の導入を記述する。さっそくはじめよう。

◎仏教から仏教へ イントロダクション

 私事からはじめる。私事で申し訳ないのだが、やはり個人的体験というものは、考えを辿っていくにあたってとても大切なものである。
 
 私は、3年ほど前から、まったく個人的な範囲で、しかしかなりの勢いで、哲学・思想の勉強に入った。書店で『現代思想』の表紙に惹かれて何となく手を取ったのがキッカケだ。
 それはおこるべくしておこったのではないかと思う。
 それはともかくとして、僕が取った哲学・思想の途は、今にしてもハッキリと思うのが、”西洋哲学”一色に染まっていたということだ。
 何も僕だけが西洋哲学に染まっていたのではなく、(日本での)哲学/思想というものが、どこかしら西洋哲学を特権視している風があるということでもある。
 
 今にして思えば、3年前にはじまった「哲学の旅」は、西洋哲学という迷宮と同一であるということである。僕にとって、西洋哲学とは、とてつもなく魅力的に思われながら、一方でムチャクチャ気難しい・込み入った世界であった。問題は、なぜ僕が西洋哲学を「ムチャクチャ難しいと思った」か、である。
 時間にして3年、短いか長いかは一概には言えないが、僕にとっては特別なものとなった。僕の「哲学の旅」は、必ずしも完璧なものであったとはいいがたい。いろんな回り道をしたし、だいいち勉強の仕方があまりに自由すぎであった。思いつくままに好きな本を好きな順番で好きなだけ読んでいたからである。

 ただ、僕は、世界の謎を、真理を、”どうしても自分の手”で掴み取ってみたかった。体感してみたかった。だから敢えてこんな迂回路をとったように思える。

 ちなみに、その3年前はといえば、法学部に入って法学を遣り掛けであった。
 そして哲学の旅を一時終えた今、私は再びやりかけの法学に躊躇いなく向かった。

 このことは、かなり間接的で遠いが、しかし僕が感得した”仏教から仏教へ”ということを、表している一つのエピソードだと思う。
 このことを今の僕が過去の僕に説明するために、この一連の連載は書かれていると思って読んでいただいてもいい。

 人生では回り道をすることがある。ではなぜ回り道をする必要があるのか?

この問いにこれから全力で答えてみたい。

misty @
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