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原稿が一時的に紛失したので前回からの直接的なつながりではないですが、基本的にパッセージごとにある程度独立しているので読むのに困難はないと思います。

 「(ビ)カミングアウト」とはどういうことだろうか。それはとりもなおさず、外傷を経た後の行動・心理全体の〈過程〉のことを示している。〈レズビアン・アイデンティティーズ〉とは、アイデンティティを自分のものとするための強い宣言である。この生を、自己によって正しく生きるための。そのとき「カミングアウト」と呼ばれる一連の行為はしっかりと根拠を持ったものとなり、自分が新たに生きていくための宣言を告げることができる。〈ビカミングアウト〉で人はまた別の生への方向転換を宣言する。私は……である、私は……でない、ということで、自らの生を自らの言説の内に確保しなおすこと。それは戦略でもあり、見えざる大きな〈生政治〉の権力作用に対するこの上ない抵抗の策略を案ずる。

 

 そのような地点から『レズビアン・アイデンティティーズ』の三つ目のポイントは語られるべきである。抵抗とは、異性愛主義や「名付けの作用」が効果する「権力と非権力」への体制への異議申し立てであるのだが、何よりも堀江が見た「抵抗」の可能性は、〈生政治〉へのダイナミックな撹乱作用として語られるべきである。そこでは次のようなことが有効となるだろう――繰り返し、自己の性や性的指向をとりあえず自己の力の及ぶところにまで領域確保させること。自己の言説(カミングアウトの行為などにより)などにより自己の有利な範囲においてこの〈生の―闘争〉を企てること。

 

 性は身体に埋め込まれている。その点において、性は存在そのものなのである。あるいは、性は存在の核なのである。だけど誰がこの存在の核に適切に――何が適切、何が正義か?――関わっていくことができるだろうか?

 〈(性的)存在者〉は、こうして単独者―社会領域―全体主義のトリアーデのもとに布置されることになる。

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