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本の感想、雑感、小論考など。 小説、簡単なエッセイはこちらで→「テイタム・オニール」http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/
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 こんばんは。mistyです。今は2015年の12月29日。帰省ラッシュというか、年末に突入しました。
 今年は個人的に文学方面でわりと充実したなと思っていて、来年ももっと頑張っていきたいと思えるようになりました。
 小説や文学は一人だけでは広がることは不可能で、目の前の本を書いた作家たちのみならず、友人、先生、自分の書いた小説を読んでくれる家族などを通して、どんどん人の輪が広がるようなものでもあるので、そういった小説や文学のチカラを大切にかんがえていきたいなぁと思いました。
 エッセイを書いて、今年のブログの締めとしたいと思いました。
みなさん、よいお年を。


***

文学の流通と課題(私的エッセイ)


 昨今になってますます、小説と呼ばれるものの本の出版が、数も夥しくなってきた。いろんな本がありすぎて、わけがわからないくらいだ。過剰な出版で困るのは、次から次へと新しい本が出されるのはいいのだが、大して買われたり読まれたりもせず、闇へ消えたり、図書館の書庫いきになってしまうという現状だ。人々の趣味・嗜好が細分化・多様化し「たように考えられ」、それに合わせて様々な本を書ける書き手が生まれて、出版もそれに合わせて、ということなのだろうか。それは一見あっているようにも思われるが……

 例えば、小説は多いのだが、エッセイとか、難しい批評本といったものは、比べて枠が限られている。小説は読みやすいものも多いし、何より古くからのリターチャー的メディアなので、小説産業自体が盛んなことは望ましくもあるのだが、僕は小説やエッセイや批評を書く身(今はアマチュアだけれども)なので、小説外でもエッセイや批評本がもっともっと人々に興味をもたれて読まれてほしいな、と常日頃思っている。

 それで、批評本はあとに回すことにして、エッセイは有名なエッセイストが何人もいるし、実際エッセイはその性質上「読みやすく深い」ということから、多くの人に愛されているジャンルでもある。
 エッセイを書くことは難しい。エッセイの文章は小説の文章を書くときに要る注意力と何も変わらない。真剣にエッセイを書かなければ、いいエッセイは生まれない(これは私の定理だ)。

 しかし、ここからが重要なのだが、優れたエッセイストを育てる環境は、今の日本の状況では、厳しいものがあると私見では思っている。というのが、エッセイストを目指そうとして、例えば公募でエッセイを出そうとしても、エッセイ原稿を募集するほとんどの公募は、「母にちなんだテーマで」とかの、外在的な、条件付きのエッセイばかりを求めてくるからである。これは実体験だが、本格的なエッセイを書きたいと思っても、書いたところで、出す場所がとても少ないのだ。読んでくれ、このエッセイはみんなに読まれてほしい、といくら願ったところで、その場所がない。これは問題である。
 おそらく、エッセイを、大半は有名人やタレントが書くものだということになっているからであろう。在野のエッセイスト、極端な例だがエッセイを書くだけで食っていこうとする人はまずいない。小説家がエッセイを書いたり、著名な人がエッセイを書いて人気を博することはあっても、エッセイそのものを極めようとする人は今の日本にはあまりに少なすぎる。

 小説はたくさんの枠がある。エッセイは限られている。そして何より一般の、芸能人でもないし特にタレントも持っていない、しかし文学的資質と努力を不断におこなっている書き手がいくらいたとしても、エッセイを発表する場がない(少なすぎる)。どうしたらいいのだろう。

 批評や哲学的論文については、最近群像社が名前を変えて「群像新人評論賞」というのを設けている。条件は70枚以内の作品提出で、批評の対象はなんでもよし。名前が変わる前は、文学評論が主だったのが、ナンデモアリになったことで、おそらく優れて面白い評論文ならば、対象がアイドル批評でもサブカル論でも音楽批評でも何でもよいのだろう(その可能性は無限にひらかれている)。これは大きな転換点だと思った。
 しかし、そのような新人賞を設けているのは、群像社くらいである。とりあえず、批評や哲学の文章で名を馳せたいと思ったら、今は群像に出すのが一番の近道ということになるのだろう。しかし、それでも群像一社である。

 批評は、大学研究をある程度積んで卒業をした人ならば、わりと書くことができる。それをもっと努力し、技術を高め、自己の知識と見解を広めれば、もっともっと多くの批評本がうまれることにちがいない。難解のイメージを持つ批評・評論の世界にも、息吹がふかれるかもしれない。

 小説は、十分すぎるほどにマーケットで流通している。願わくば、エッセイや、評論といった、人々の文学観・教養に欠かせないような大切な本、文章が、もっとこの日本に広まる、そしてそのような環境作りが整っていけたらいいなと、複雑な気持ちで思うばかりである。

misty
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