![]() |
僕の大切な存在である人との〈愛の共同体〉は、〈愛の―接合機械〉とでも呼びうるかもしれない、そのようにたしょう変化して呼ぶことができるかもしれない。それはとりわけ、ベッドの中にいて、布団にくるまって彼女とぴとっと一体化している時に僕が思うことだ。僕は彼女と身体を合わせている時に、おそろしいほどの安堵を感じる……それは必ずしも性的な行為をやっている時に限らず、ただ抱擁したり、髪の毛をなでたり、ほっぺたを触ったりしている時にそうなのだ。僕らは〈愛の―接合機械〉なのだ、と思う。僕はその片っぽだ! と。〈愛の―接合機械〉なんてことはまだ彼女には一言だって言ってやしないが、彼女もおそらく、僕と身体を親密にさせている時に、安堵を感じているのではないか、と思う……というより、僕らが感じる安堵は、「僕が感じる安堵と彼女が感じる安堵」という風に別々のものではなくて、「僕らが感じる安堵」なのだ、と思う。これは傲慢ではない。その時、お互いの身体を親密にさせているとき、僕らは一つになると思う。それは、その限られた時間の中で、という条件付きでだ。僕らは〈愛の―接合機械〉に変化する。そして〈愛の―接合機械〉は安堵を感じるのだ。安堵を感じ、二つの部分が十全となって、あるべき姿で「在る」、という風に確認し、そしてまた離接する。離接して、また接合する。それが、例え一時的であるにせよ〈愛の―接合機械〉の姿なのだ。
PR
COMMENT