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 この記事の表題であるが、アイドルをめぐる社会の目線は、明らかに、一般の人々にしてさえ、間接的あるいは直接的な意識への規定作用をなしていると思われる、性愛という点において。


 性愛とは、性に基づく私たち人間の行動や意識の様態のことである。

AKBが「国民的アイドル」と称されるようになってから、人々の性愛行動は少しずつ変わっていっていると私には思われる。むろん一部であるが、それは性愛の領域と他の領域との関係図式が変わってきたからだ。

 端的に言うと、性愛を狭い場所に閉じ込めるアイドル時代の精神は、(1)生々しいキスや恋愛、そしてセックスを匂わすものを予め排除する、(2)のだが、結局性愛というものは完全には押し込め切れないものだから、暗き場所からの噴出として、まさに「暗きもの」と再定義されて噴出してくる、(3)その噴出したものを捉えて、例えばスキャンダル誌などで取り上げる


 といったものである。AKBは分かりやすくアイドルメンバーに「恋愛禁止」という行動規制を掲げる。その代償として、やらかしてしまった者に対しては、ファンのルサンチマンやら関係ない人々の騒ぎたい一心やらが混ざって、非常なスキャンダルとしてマスコミに報じられたりする。つまり制圧を受けるのだ。

 その片方で、性愛は、特にセックス行為を内包する性愛は、本当に狭い所に隠匿され、秘匿され、押し込められる。 

 私たちは、「クリアで健全な社会」の表象を演じる代わりに、「ウラの顔」をそれとして代理=表出させる。

 しかし、このウラの顔がバレたりすると、ふたたびクリアで権力を持ったほうの社会が再攻撃を加え、私たちのウラの顔にはさらに「暗い」ものが付与される。


 、、、、結果として、次のような事態が待ち受ける。


(A) 我々は、たしかにクリアで健全な社会を常態として受けるが、その中でコミュニケーションを楽しむという新たな性愛(?つきの、だ)の様態を創出しつつある、


(B) 隠匿されたものとしての性愛の様態も、その政治力学(発見される、バラされる)関係を続行する


といった具合にだ。         ういろう


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