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日本のロックバンド、THE NOVEMBERS。
この記事はもっぱら主観的になることをお許しいただきたい。
ノーヴェンバーズは前から大のお気に入りだったのだが、最近、僕の中では、このバンドこそ今の日本ロックの頂点だと強く感じるようになった。
対比として出したいのが、ミッシェル・ガン・エレファントだ。
TMGEの影響力は、国内にとどまるものの、誰も否定できないのではなかろうか。彼らの登場、活躍、そして華麗すぎるさり方、その挙動の全てに、魅了されたファンは多いはずだ。
それだけではない。ミッシェルの登場は、一バンドが活躍していたという事柄を超えるものがあった。
それは皮肉にも、彼らの解散後、ミッシェルが神格化されていくということに証拠を見出す。
遡及的な視点においては、彼らは神そのものであった。 というか、あれほどまでに独自のスタイルをもって音楽を表現したバンドは、ついぞほかに類を見ない。
THE NOVEMBERSは、私の中で、いまそういったミッシェルと、似た立場にある。
一つは彼らの天性だ。ノーヴェンバーズのフロントマン・小林祐介がかく歌、それをアレンジするバンド音は、百歩譲っても、非常に複雑な構造であることが多い。
彼らが初期の頃から一貫して使っている変拍子。しかもそれらは毎回新作を出すごとに進化をしている。
ギターの掛け合いもまた、このバンドサウンドの魅力の一つになっている。音の重なりを大変重視している様子が伺える。
難しいことの中に、バンドのグルーヴを出したり、キメを作ったりと、ライヴバンドとしての大事なこともやってのける。
天性に加えて、それをきっちりやってのけるという真摯さが、彼らを唯一無二のものにしている。
思えば、ミッシェルの曲はノーヴェンバーズのそれと比べると、曲の構造が複雑とか、そういうことはない。
しかし、あそこまでキリキリにダウナーで漢気のある表現にたどり着いていることを勘案すると、それはもう彼らの天性によるものでしかないと結論づけることがせいぜいだ。
それから彼らは、ともに新作を出すごとに深化、変容をとげているという点でも共通をしている。
ミッシェルについては、初期のポップで若さが前面に押し出された感じの曲調から、中期でミッシェルの代表期を作り上げ、後期ではガレージ・ロックを超えて音楽的な挑戦に挑むという語りが一般的である。
ノーヴェンバーズはまだフルアルバムもミッシェルほどは多くないのだが、一つ、小林祐介自身が示した彼らの作品の区別が参考になる。
「THE NOVEMBERS」「picnic」 /「paraphilia」「Misstopia」/「To melt Into」「Two (holy)」/「GIFT」「Fourth Wall」
現時点でのノーヴェンバーズの作品区別は、今まで出されてきたミニアルバム・フルアルバムを、2作品ごとにわけているということになる。
私見では、To Melt Intoを特にミストピアの時期の作品と区別する必要はないと思うので、ここでは彼らがpicnicを初期の作品としていることに注目しよう。
picnicは彼らのアルバムの中でも人気が高い作品だが、それにはもちろんそれなりの理由がある。このアルバムは、すでに完成度が高すぎるのだ。当時彼らが持っていた技術や表現能力を、余すところなく発揮して作ったのがこのアルバム、であると思う。
それは裏を返せば、ノーヴェンバーズは「picnic」を超える作品を創り出すことができるのか? という問いが要求されることにもなる。しかし、彼らはその問いをいとも簡単に回避してみせた。 というか、次作のparafhiliaで、彼らはそれまでの既存のノウハウを使いながらも、ほとんど違う、別の表現の道へと至ったのである。
そしてその進化、変容は、現在のところの新作である「Forth Wall」にいたっても、ずっと続いている。彼らの作品はまったく予想できないのだ。それなのに、いつの間にか彼らの新しい世界観に強烈な感動をおぼえていることになる。つくづく不思議なバンドである。
類を見ない天性をもっていること、その使用をきっちりこなしていること、それから音の追求に貪欲でありバンドの進化、変容を考えていること。 これらは、別に必要条件なわけではない。
しかし、00年代のミッシェル・ガン・エレファントと、10年代のノーヴェンヴバーズを比較してみたとき、それらの点が共通点として浮かび上がってくるというのはなかなか面白い事である。
ミッシェルは、アベ氏の痛ましい死により、物理的にサウンドが現動化することはないが、ノーヴェンバーズはこれからも生き続ける。
(了)
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