第四回目
(前回からの続き)
中身のないものをエンハンスするというのはどういうことか。これは、アイドルがかつて時代と親和的になったときを思い返せば良い。
1980年代は、中森明夫的な意味合いにおいても、浅田彰の言葉を借りても、”ネタ”や”シラケ”の時代であった。ボードリヤールのシュミラークル論が下敷きするように、いろんな価値が混迷しある意味において馬鹿馬鹿しくなったものを、「敢えて」取り上げて脱臼化させる、という態度決定が文化の中心的なモードであった。価値が希薄だからこそ、その希薄さを気軽に取り扱えるというわけだ。そこには理念も目的もない。あるのはシラケという態度だけだ。
(前回からの続き)
中身のないものをエンハンスするというのはどういうことか。これは、アイドルがかつて時代と親和的になったときを思い返せば良い。
1980年代は、中森明夫的な意味合いにおいても、浅田彰の言葉を借りても、”ネタ”や”シラケ”の時代であった。ボードリヤールのシュミラークル論が下敷きするように、いろんな価値が混迷しある意味において馬鹿馬鹿しくなったものを、「敢えて」取り上げて脱臼化させる、という態度決定が文化の中心的なモードであった。価値が希薄だからこそ、その希薄さを気軽に取り扱えるというわけだ。そこには理念も目的もない。あるのはシラケという態度だけだ。
比較項としての”スター”が幅をしめていた時代、それは体系=完全性を代弁するものとしての大きな物語が有効化する空間であったのであろう。アイドルは、ひとまずスターの対義として価値づけられる。
いわば、80年代のアイドル(の価値概念)は、そうした”スター性”が有する価値を否定するものであれば何でも良かった。それは”~でない”という消極的な記述を持って説明できるだろう。
歌が完璧「ではない」
ダンスも完璧「ではない」
暗さや影を帯び「ない」
ただし参照軸として、何がアイドルかを決定づけるために、容姿もまた”完璧にきれいではない”=”可愛い「くらい」”。アイドルの容姿についてはまた別論を要するかもしれないが、要するに80年代的アイドルは(1)完全性の否定として、(2)シラケ的モードをもって(熱狂的に)迎え入れられるものであった。
シラケの消極的価値が、そうした70年代的価値の混迷をとりあえず避けるものにあったとして、シラケの積極的、必然的価値は何であったのだろうか。
意味のないことを敢えて意味のあるかの如く”振舞って”、演技をして楽しむという行為。そこには演じることの内容が内在している。演じるためには、その(演技の)世界は虚構であるということが共通理解されていなければならない。シラケが一人の行為においてでなく、複数人の共通モードとなるためには、そうした虚構性=今の目の前のあらゆるものは等しく価値を含んでいない、をみなが共有していなければならない。
シラケの成立条件は、そうした虚構性が一般的に出来上がっているということである。ならば70年代から80年代の時代の動きは、そうしたあらゆるものが価値を希薄にするという方向において全力で動いていたことになる。
80年代の時代は、いわばまだ「大きなる物語」がギリギリのところで作用していた時代なのだ。人間や理性や自由の意義は、確立したあと衝突し、混迷し、そして希薄したと。そういう素地ができあがったことになる。
この暫定的結論については、まだ疑う余地がある。
しかし、シラケのその後を見ていこう。シラケがどのように変容していったのかを。
(9/4 執筆)
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