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 学生時代、ホッブズが動乱の社会の中で主著「リヴァイアサン」などを書かざるを得なかったことを紛争管理論の教授から力説されたことを思い出す。

コンフリクト(争い、紛争)を最小限にすること―。ホッブズの社会契約論の目的は、そこにあったと、私は考える。
 前国家的な戦争状態には、おそらく生命の奪い合い、すなわち殺し合いや、財産の奪い合いといった事態がメインで考えられていたと思うが、この”戦争状態”は究極的には、絶えざるコンフリクトの発生を指すものと考えられる。

 生命の奪い合い、財産の奪い合い、人間社会におけるコンフリクトの内的原因は、人間関係の不調和である。人間社会はおよそあらゆるコミュニケーションから成り立つ。ディスコミュニケーションがコンフリクトの内的原因となる。



 ならば人間関係の不調和はどのようにして生まれるか。それが、ホッブズが『リヴァイアサン』の第一部「人間について」について諸方面にわたって考察したように、人間の精神のあらゆるマイナスな心的状態である。怒り、傲慢、弁えのなさ、悲しみ…。

 大切なことは、これらのマイナスな心的状態が、存在論的なものとしてはじめにあるのではないということだ。それらは、結果として、すなわち人間関係の循環として、コミュニケーションのコミュニケーションとして現れる。

 図式的に言えば、あるコミュニケーションがマイナスの心的状態を産み出し、それが当のコミュニケーションにリフレクトしてディスコミュニケーションを再生産するということだ。

ホッブズは人間関係そのものを論じはしなかったが、そのことを見抜いていたことには間違いない。人間関係すなわち循環するネットワークがあって初めてコンフリクトが生まれるということ。

 そこから、そのようなコンフリクトの防止を図るために、彼は一気に統一国家、すなわち主権国家への設立へと論を運ぶのだが、結局彼は全体主義的な国家観を提示してしまったように思われる。

 このことは、当時のヨーロッパが覇権争いをしていたことにも関連するのだろうが、やがて一つの世界が生まれるといった発想は私には無縁だ。


 それならばどう考えるべきか。
思うに、コンフリクトの発生は、どのようにしても、一定程度は起きるものである。
起きてしまうものはどうしようもないという点がある。

 紛争が起こってしまえば、それに頑張って執着し、どうにか手をつけるというのもテなのだが、さらなる面倒=紛争を生みかねないことは言うまでもない。

ならば、逃げればよい。少なくとも、逃げる道があるという選択肢を残すべきだ。

 そこで私は、ホッブズ的な、全ての構成人民が自らの自然権を放棄して一つの巨大な権力を設立し広範な監督権限を与えるという説とは対照的に、ゆるやかに繋がることができ、ゆるやかに切断することのできる、Twitterのような”アーキテクチャ的多元共同体”を提唱したい。

 ”共同体”という言葉遣いは嫌なので、皮肉も含めて、”絆”という言葉を使用しても良い。アーキテクチャ的多元的絆。

 ゆるく入ることができ、離脱も簡単な、それゆえ幾つかのセル cell(細胞)に分かれている社会状態を想定されたい。

幾つかのセル cells には、その時その時の(「今ここ」)関係性によって結ばれたメンバーがおり、そしてそのcellsを眺めるアーキテクチャが存在する。
 例えば、あるメンバーが、A cellから離脱したいと思うときには、アーキテクチャにその意志が伝えられ、アーキテクチャは「A cellからメンバーが離脱する」というプログラムを実行する。 そしてそのメンバーは、任意に、例えばB cellに入る。これらの移動は、各cellでの他のメンバーの意志による合意等に根拠を置くことなく、

 変容していくcellを管理=統括する、全体視することのできないアーキテクチャに根拠がある。

争いは、「なぜお前は私たちの縄張りから出て行くのだ」という、他者の合意を求めてしまうことに多く起因したのだった。
 一つの共同体に縛られることからあらゆるコンフリクトは発生する。
 コンフリクトが起こってしまえば、ある程度以上になったら、そこから手を引くことのできる逃げ道が必要である。
 結果として、共同体に特有の、”厚いメンバー意識”や、”一体感”は失われるだろう。

だが、その代わりに、”理由のある帰属意識”、”自己にストレスの少ない生き方”を選択することができる。

それが、アーキテクチャ的多元的絆の社会観である。
ホッブズの敷いた近代を私たちは超えて、このような社会を生きたい。

(了)

***

ちなみに、この文章は、かなり論争的なものになると思われる。
鋭意ある反論、意見を待ちたい。
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