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”ロコドル論”と題していた連載のタイトルを変えて、3回目である。

idols relativityとは、別に”アイドル戦国時代”でもよい。近況の、日本の2010年から現在までの、文化態様におけるアイドルと名指されるものの占める空間を指す。

 そこには私の一つの、まだ明確になっていない大雑把な見方がある。それは、アイドルというものの概念が価値変容を起こし「つつ」あるということ(多義的になりつつかつ一つの共通項をもっているように思われること)でもある。

 例えば、秋元康が真の卓越したプロデューサー、<起業家>であるかどうかは懐疑にかけられてよい。なぜなら、彼はおそらく彼の持ち前の勘とタイミングのみによってしばしばAKBグループを牽引し、しかし結果としてはAKBの空前的ヒットとその持続をもたらしめた。
 面白いのは、私たちの時代は、あたかも偶然のひと振りを歓迎しているかのようなのだ。神経症的な資本主義社会の原理からすれば、緻密なリスク計算と事前把握のみが、経済的成功をもたらすに違いない、と考えるのが普通であろう。彼はその常識を覆しているのである。
 とすれば、いったいぜんたい、私たちの時代はいったいどんな姿をしているのであろうか? 神経症的=資本主義的原理が必ずしも妥当しない範囲とは一体どんなものであろうか?

○ アイドルの内在的価値=意義

中森明夫が指摘するように(注:参考文献欠落)、アイドルの語源的意味は「偶像、空転」である。アイドルを応援するとは、偶像崇拝と等しいものであり、それでは偶像崇拝とは何かといえば、究極的には、中身がからっぽなものをエンハンスするということである。

(9/3 執筆)







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