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Time is money. という文章をテクストとして解釈しよう。
その際、通常の読みでは、これは比喩を表す文章であるということになる。
つまり、Time is like money、時間とはお金のように貴重なものだ、ということを含意している言葉ということになる。
おそらく私たちはこの”普通の読み方”を忘れてしまっている。というのも、このテクストは第二の読み方ができるのである。つまり、isは本来的な等価関係を示す記号として働くということである。第二の読みでは、まさに「時間とはお金のことである」という(単純だが恐ろしい)読みになるのだー。
時給という考え方は、時間を計量化し、さらに私たちの身体を労働力の源泉として組み込むことを前提としている。じっさい、人々は時間によって縛られるのではない。時間=お金、時間=貨幣という後期キャピタリズムの恐ろしき要素によって脅かされているというわけだ。
この<時間=貨幣>は、時間というカテゴリと貨幣というカテゴリを生統治という名のもとに結びつける。時間が貨幣をうみ、貨幣が時間を産むというこの悪魔のスパイラルは、いったんはじまると、その規約が破壊されないかぎり永遠に続いていく。
じつに昨今の社会人は、例えば本を読むという、仕事以外の時間の過ごし方を奪われてしまっている。本を読む行為は貨幣を直接的にもたらさない。また、間接的にもたらすとしても、それは本を読むという行為を資本という概念に還元してしまうという、いささかも資本の支配する領域から超え出ないことになるだろう。
このとき、時間は仕事によって貨幣を生み出すためのものだ、という定式を、相対化させることが何よりも大切なのではなかろうか。
それは上の、Time is money.の第一の読みを復活させることにもなる。 時間とはお金のことではない。時間は例えば一つはお金のように、われわれにとって大切なものなのだということだ。
フーコーが『ヘテロトピア』で示したように、墓場や図書館では異質の時間/空間性が規定されている。 もっと突き詰めていうと、本を読むという行為は時間と空間を改変させる可能性を多く孕んでいるのだ。一冊の本を読んでいたらいつの間にか真夜中だったとか、私の心は読書中は我ここにあらずだ、とかいったものだ・・・。
その時私たちは、時間の使い方が決して一様ではないことを思い知るだろう。そのとき、Time is money、すなわち”時間はお金のように貴重なものである”ということの真の意味が分かるだろう。 時間の使い方の多様性ゆえ貴重であるということを。
小旅行、ネットへのこもり、消費行為、私たちの日常から解放をうながす闘争=逃走行為はたくさんあるが、中でもこの<本を読む>という行為は、比較的行いやすい。案外、わずかな決心さえあれば簡単なものだ。
本を読むビジネスマン。ヘーゲルを読むビジネスマン、上野千鶴子を読むOL、ブランショを読む経営者。
(了)
その際、通常の読みでは、これは比喩を表す文章であるということになる。
つまり、Time is like money、時間とはお金のように貴重なものだ、ということを含意している言葉ということになる。
おそらく私たちはこの”普通の読み方”を忘れてしまっている。というのも、このテクストは第二の読み方ができるのである。つまり、isは本来的な等価関係を示す記号として働くということである。第二の読みでは、まさに「時間とはお金のことである」という(単純だが恐ろしい)読みになるのだー。
時給という考え方は、時間を計量化し、さらに私たちの身体を労働力の源泉として組み込むことを前提としている。じっさい、人々は時間によって縛られるのではない。時間=お金、時間=貨幣という後期キャピタリズムの恐ろしき要素によって脅かされているというわけだ。
この<時間=貨幣>は、時間というカテゴリと貨幣というカテゴリを生統治という名のもとに結びつける。時間が貨幣をうみ、貨幣が時間を産むというこの悪魔のスパイラルは、いったんはじまると、その規約が破壊されないかぎり永遠に続いていく。
じつに昨今の社会人は、例えば本を読むという、仕事以外の時間の過ごし方を奪われてしまっている。本を読む行為は貨幣を直接的にもたらさない。また、間接的にもたらすとしても、それは本を読むという行為を資本という概念に還元してしまうという、いささかも資本の支配する領域から超え出ないことになるだろう。
このとき、時間は仕事によって貨幣を生み出すためのものだ、という定式を、相対化させることが何よりも大切なのではなかろうか。
それは上の、Time is money.の第一の読みを復活させることにもなる。 時間とはお金のことではない。時間は例えば一つはお金のように、われわれにとって大切なものなのだということだ。
フーコーが『ヘテロトピア』で示したように、墓場や図書館では異質の時間/空間性が規定されている。 もっと突き詰めていうと、本を読むという行為は時間と空間を改変させる可能性を多く孕んでいるのだ。一冊の本を読んでいたらいつの間にか真夜中だったとか、私の心は読書中は我ここにあらずだ、とかいったものだ・・・。
その時私たちは、時間の使い方が決して一様ではないことを思い知るだろう。そのとき、Time is money、すなわち”時間はお金のように貴重なものである”ということの真の意味が分かるだろう。 時間の使い方の多様性ゆえ貴重であるということを。
小旅行、ネットへのこもり、消費行為、私たちの日常から解放をうながす闘争=逃走行為はたくさんあるが、中でもこの<本を読む>という行為は、比較的行いやすい。案外、わずかな決心さえあれば簡単なものだ。
本を読むビジネスマン。ヘーゲルを読むビジネスマン、上野千鶴子を読むOL、ブランショを読む経営者。
(了)
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