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本の感想、雑感、小論考など。 小説、簡単なエッセイはこちらで→「テイタム・オニール」http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/
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改めてレンタルして見た。本当に圧巻。

これは、なぜ当時、賛否両論だったのだろうか。 わかりにくいし、仰々しい。たしかに笑 でいだらぼっちは巨神兵と似ていて、その後のジブリもハウル、ゲド戦記と難解化していく方向すら見える。

 しかし、これ以上、つまり『もののけ姫』以上に、人間と自然をまつわるテーマを単純に描くことはできないのだ。もう、これが、ありとあらゆる歴史、そして残された私たちの未来の姿といっても、ほとんど過言ではない。

サンが、「おしまいだ。森はもう死んでしまった。」と言って、アシタカが「終わりじゃない。私たちは生きているのだから」という時、彼の瞳のなんと澄んでいることか、その言葉の強さ。


 ししがみは、命そのものを操る。その意味で、生命を超えた、そして意味の次元も超えた、超―生命体である。

その超―生命体が残したラストシーン。 これこそが、『もののけ姫』の最終解答である。私たちは、自然に対置しているのでいない。いつでも、私たちは<生>の方向に生かされているのだ。最大限の生。そして自然は、どこまでいっても大地の母なのである。母が父と結託するとき、あるいは世界は破滅的になるが、私たちがあらゆる生と未来を望む限り、自然は、森は私たちを見捨てはしない。

 死神は、人間に対するアンチテーゼである。肥大化する”ヒューマニズム”。 死神もしょせん、否定に対する否定でしかないから、どこまでいっても否定の力を経由したヘーゲル的なものでしかない。

肯定せよ。生きろ。 アシタカは生きることに理由を求めない。

なぜなら、それが唯一の答えだから。 肯定するのだ、生を。自然を。人間を。

『もののけ姫』は優れた傑作である。

(了)
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