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 まいどまいど内省的なことで申し訳ないが、「法を超えるために ホッブズ、カント、スピノザの政治哲学」という小論文がやっと出来上がった。

 読みたい人は、この記事の一番下にあるメールアドレスまで、「論文読みたい」と一言申してくれれば、Wordのファイルを添付します。 若しくは、ドロップボックスなんたらを使って、そこに置いておこうかな。

 以前からちょいちょいホッブズに言及していて、学部生の時に習ったホッブズを考えたいなぁと思った結果、カントとスピノザの政治論も付き合わせる感じになった。

さて、これからどうしようかと見切りをつけるための、整理です。

・バトラー、個がシステムと向き合うために

まず一つ。 ジュディス・バトラー(若しくはヘーゲル)の承認論=自己発見論を、90年代的なシステム論と付き合わせて考えてみたいというのが即急の目論見としてある。

 ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法は、要するに自己と他者の世界記述である。90年代のシステム論は、ある意味で、自己vsシステム、自己とその自己を取り巻く環境の関係、といった世界観を想定している。

 現代において、個(人)とシステム(個に対峙するものとしての他者のある連なり、社会、無意識の集合、世間などなどとも言い換えられると思う。これは、少し検討を要する) が対峙するとき、システム固有の(構造上の)問題がそのまま素通りされて、というよりますます個の方に責任の押し付けといった形で攻撃の刃が向いてしまうという悲しい現状がある。

 小泉義泉さんが『現代思想 (2014年)1月号』に寄稿された論文は、うまくシステム論の問題点を短いセンテンスで要約している。

 しかし筆者は、なお個から出発する(それは、個という形態ではありえないかもしれない)抵抗の担い手が、何らかの形でシステムにうまく攻撃をし、システムも巻き込んでいくという方法は、この時点ではまだあるんじゃないかぐらいに思っている。

 というのは、例えばジュディス・バトラーは、どうやら「倫理的主体」という概念を考えていたらしいのだ。らしいというのはまだそのへん読んでいないのです。

 そして、ある論文によると、その「倫理的主体」とは、フーコー後期的な「個の倫理への転回」といった仕事と多く関係があるみたい。

 バトラーは、あくまで抵抗もしくは反応の場所を「個」の側の方に置いて思考しているフシがあるのではないか。

 それでは、具体的には「倫理的主体」はどういったもので、どのような戦略地図を描くのか。
これを探求する(或いはまとめること)、戦略地図の意義とその射程。

 そして、「個」の側というより、システムへの攻撃・関与という側面をもっと意識した攻撃の仕方の、あるのかないのか、どんな戦略地図か。


こういったことを、考察してみたい。


これは、ある程度必読文献が揃っているのではないかと思っている。

 大きな書物として、バトラーの『権力の心的な生』あたりを通読・精読しないといけないのかもしれない。その他としては、既読文献『自分自身を説明すること』も使えるだろう。

・『現代思想 臨時特集 ジュディス・バトラー』
・竹村和子さんの著作・論文
・斎藤環『承認をめぐる病』  これは、個とシステムをめぐる考察を描いた論文が実際にいくつかあって、とても刺激的だった。
・『現代思想 1月号』 小泉論文など


とりあえずこれくらいを片手に、まず最初に取り掛かれる仕事だと思う。


・アガンベンの主権批判

 これは前からある構想ではある。しかし、その時は「国家主権を廃棄するためには」みたいなことを考えていたが、どうもテーマが大きくなりすぎる。

 アガンベンは、『ホモ・サケル』の第一部『主権の論理』で、確かに通常の主権の理論を刷新する議論を行っている。

 そこから彼はグアンタナモの収容所の人々や、『アウシュビッツの残りの者』ではアウシュビッツの人々、彼らを生み出すに至った・「例外状態を生産する生政治」とでも呼べる分析をしている。

 これはうっすら理解できることだとしても、「じゃあどうすればよいのか?」という次のステップの思考につなげていくことが、とても難しいのである。近年のアガンベン自身の理路もそのような難しさとある程度関係はしていると思う。

 とはいえ、今回は、議論尽くされた感じのあるアガンベン中期の政治哲学に、あえてまた再調査しようかなとも思う。一つは、『ホモ・サケル』『例外状態』といった著作を丁寧に整理したいということもある。
 いま手元に岡田温司先生の『アガンベン読解』があったのでパラパラ読んでみたが、この本はアガンベンの政治哲学の議論にはそこまで触れていないのである。むしろ、中期後期の神学研究もおさえて、全体としてアガンベンの哲学の方向性を取り出していこうというプロジェクトがこの『アガンベン読解』のモチーフである(と僕は思う)。

 何やら『現代思想 特集アガンベン』は、彼に批判的なものがとても多いみたいなので、ここらで一つ、間抜けな行為とは分かっていても、アガンベンの政治哲学をもう一度検証することをやってみようかな。

 具体的には『ホモ・サケル』『例外状態』(『アウシュビッツ』は余力がない)を読解し、そこから彼の「共同体」論(それは政治神学的なものであるはずである)との繋がりをもう一度明確に浮かび上がらせること。これかな。


・ネグリ、ネグリ+ハートの通読

 今回の「法を超えるために ホッブズ、カント、スピノザの政治哲学」をやっていて、次に勉強したいのが、現代のスピノザ主義者のネグリや、ネグリ+ハートの世界政治理論だなぁと改めて思えた。

 あと、日本の市田良彦さんの著作も読んでみたい。うまくいけば、ランシエールやバリバールなどのアルチュセールの後継者の思想にもつながることと思われる!


 以上です。
光枝初郎(ういろう)
misty8823@yahoo.co.jp

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