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最近は、アメーバ・ブログの「テイタム・オニール」(http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/)をよく使っていました。
「Vague mal」という変な小説の続きをまたゆっくり書いていこうと思うので、連載を再開します。「書も、積もりし。」でやろうと思います。
それで、ちょっと補足説明をさせてください。
Vague malは、全体構成として、
第一部 メランコリア
第二部 スキゾフレニア
α 空中の諸都市
β 記憶を持たない少女
γ 黒い水、月
第三部 After becoming, to nowhere.
というものの予定なのですが、このうち第二部スキゾフレニアの、βに該当する原稿がなくなってしまいました。
ちゃんと探せばあるかもしれませんが、少なからずともこの辺で筆が滞ったのは間違いなく、このあたりにこの小説を書き続けていることの困難さもあったので、とりあえず、これはまたあとで書き直しです。
今回は、「第二部 スキゾフレニア γ黒い水、月」からはじめます。
そして、「β」か「第三部」のどちらかまでを公開したいと思います。
このVague malも、我ながらくっそ自分勝手にやりながら、書き始めたのは去年度の6月ぐらいからでした・・・。
1年が経とうとしています。ぜひ、完成をさせたいです。
前置きが長くなりました。 本文は以下からです!!!
ちなみに筆名は蜜江田 初郎(みつえだ ういろう)です。
@Vague mal(連載小説) 第16回 第二部 スキゾフレニア γ 黒い水、月
γ 黒い水、月
水の動き(運動とも呼べるだろう)は人間の血液の流れととても似ている。体内の血液は、心臓がマッチポンプの働きをして、からだ全体を循環して流れる。たとえば上半身から下方へ、という大まかな方向だけを見ていても、その実際の流れは非常に複雑だ。毛細血管、網目のように細かく広がる血管。動脈よりも、どちらかというと静脈だ。つまり、送り出した血液が再び心臓部へ返ってくる経路。血液の流れはやむことがない。静脈は不気味なほどの澱みと昏さを含んで、それでも流れ続ける。それは何故かといえば、当たり前にも、体内環境は血液を必須のものとするからだ。肉は血を欲する。静脈、血液は流れ続ける、ドク、ドク、ドク……と。
河の流れと血液循環の類似構造に新田が思い至ったのは、時計が深夜2時を回ってからだった。彼は自宅から一番近い河川橋の上にひとりぽつんと居た。寒風が吹くなか、どこかで手にした缶コーヒーのフタを空けて、真夜中に血液循環のことを考えていたということだ。どうやら自分は酔っているらしく、いま正に思考が冷静になりつつある、ということだった。少し前の時間のことを何も思い出せない。まぁそれでいいか。
口に含んだ缶のエスプレッソは、非常に糖分が多く、新田をガッカリとさせるものだった。それでも体が温まっていくのを感じながら、新田はもうひとつのことに気がついた。この街には河川が多いのだ。それもそのはずで、街から数十キロも離れると海に面した場所にそうそう出くわす。新田は海があまりない場所で育ってきたから、そのことは改めて新鮮に感じられた。とにかくこの街ではいたるところに大きな河川と橋があり、海へと流れ込む実に多くの水路をそれらは形成しているのだった。街もここまで近代化する以前は、人々の交通は船渡しというイメージのしやすい形態のものが盛んにあったのではなかろうか。新田が大学を卒業してもう4年も終わろうとしていた。就職のために引っ越してきたこの街はあまりにもきれいだったため――新田は水の存在に今の今まで気がつかなかった。実際、それはとても慎重に街の中で身をひそめていたのだ。
(続く)