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■病気の〈現象〉をもう一度主観の視点で構成する

 病気、それは現代においてあまりにも科学的=客観的(科学が〈客観〉objectiveの構成を与え保護さえすること……)なとらえ方をされている。そのような捉え方が支配的にすぎるのだ。
 例えば、ありとあらゆる病気の現象を、どこまでも生理的・身体的要因から起こるものとして解明しようとする(科学の)〈欲望〉。 このような事例は、かつて精神医学においても顕著であった。今はあらゆる医学領域におけるそれの全般化である。


 哲学者・現象学者は、もう一度病気を〈主観〉の側から構成しなおさなければならない。

だいたい、病気とは常に「当人」、つまり主体に「伴う」ものでもある。私の胃の不調、痛み、それは普段健康で何も痛みはしなかったご機嫌な私=主体を、唐突に脅かしてくる。

 私の胃は、はたしてこの時「客観的=客体的」なものなのだろうか? 
 よく、病気にかかると気分まで落ち込む、というが、そのときの病気と気分の悪さはまったくの別物なのだろうか?

 否、である。スピノザの心身並行論。それをとらなくとも、私たちは身体と精神の境界線が非常に曖昧などころか、ぎゃくに大きな精神を基軸点とした唯物論的構成をとることができるのだ。

 病気は、胃の不調は、主体の一部分のようにみえながら、確実に私の「気分」のようなものを害してくる。そのとき、私の胃は「私」という主体とたしかにまじりあっているし、「私」は胃という物的=客体的に捉えられがちなものに脅かされ続けるのだ。

 私は、病気とはひとまず、主体の傍にまとわりついて離れないもの、私を確かに構成しうるもの、つまり精神=私のようなものの一部であるとはっきり宣言する。

 みすてぃ
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