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本の感想、雑感、小論考など。 小説、簡単なエッセイはこちらで→「テイタム・オニール」http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/
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綾子の場合
 陰鬱だった。こんなにも朝が重たいものとは思われなかった。貝原綾子はベッドから身を起こし、脇に置いてある目覚まし時計に目をやった。八時十五分。休日には早ぎか
、と思ったが、綾子はそのまま朝食の準備をした。
 死んだ泉のことが思われた。今はそれしかなかった。あんなに可愛くて素直で、弱気なところもあるけれど自分の意見をしっかり持って生きていた泉……。悲しくて仕方が
なかった。
 どれだけ状況を調べても、筒井泉は誰か他の者によって殺されたという証言や物的形跡は、一つも出てこなかった。しばらくして警察は彼女を自殺と認定して事件の捜査を
終えた。だがそれこそ、綾子たちからしてみれば怪しかったのだ。泉が自殺する理由なんて、それこそ一つも見当たらなかったからだ。
 泉のひとつ年が上の綾子と、それから泉と同級の梅元愛は、大の仲良しだった。綾子は、一度大学受験を失敗して一浪して大学に入ったので、ストレートで四大に入りスト
レートで卒業した泉と愛たちと、学年は同じだった。彼女たちはみな同じ大学で、それぞれ出身は文学部、法学部、そして綾子は経済学部とてんでばらばらだったが、こうし
てそれなりに大手企業の同じ職場に就いていたのだった。
 綾子はストレートで大学に入学していった優秀な同級生にちょっとした引け目を感じており、それは大きなものではないのだけれども、そういった同級生よりも、自分の属
した学年の子たちの方ををより大切に想った。そもそも三人は就職活動でそれぞれ知り合った。当時は就職難と言われる時代で、三人は自分が受けた企業の数の多さを皮肉に
競い合っては、笑うことで未来の不安を共有していた。綾子からすれば、泉は三人の中でももっとも聡明な子だった。会社の中でも目立つ存在だった。男子の社員さえ彼女の
聡明さには一目を置いていたと思う。そんな泉は可愛らしい一面があって、それは実家で飼っているペットの犬への溺愛だった。彼女の溺愛はちょっとどころのものではなく
、自社の机に何枚も写真立てを置いていたし、この子がいる限り私は結婚しないと言ってはよく私たちを笑わせてくれた。
 綾子は冷蔵庫を開けて、中からヨーグルトをひとつ取り出した。食欲はほとんど無かった。でももうあれから一週間も過ぎたのだ。
綾子はスプーンでヨーグルトをすくって、その酸味のきいた甘みを口の中にゆっくり広がらせた。気分に反して外は晴れ、綾子の座っている所まで薄い光が射しこんでいた。
 昼、愛と会う約束をしていた。
 梅元愛は、可愛らしい女性だった。同じ可愛いという形容でも、たとえば筒井泉のそれは知的雰囲気を感じさせつつも、どこか幼くみんなから慕われるような妹的なもので
あるとしたら、愛のそれは、最近の流行りでいうところの森ガールのファッション的な、女性が可愛いと思う可愛さだった。愛は緑のパーカーに、白のフリルスカートを履い
て待ち合わせ場所に現れた。綾子が気付いて、「やほ。」と力なく声をかけると、愛は
 「ごめん、待った?」
という言葉とは裏腹に、にこやかな顔をみせて対面した。
 「どこ行こっか。」
 「んー、この前はパスタだったから、今日はもっとがっつりいっちゃう? お肉屋さんとかさ。」
綾子は苦笑した。
 「ごめん、私そんなに元気ないんだ。」
 「そうだよね……。当たり前だよね。ごめんね。」
 「ううん、いいの。それより、私、前から行きたいと思ってたお蕎麦屋さんがあって、そこはどうかな?」「それ、いいね!お蕎麦、食べたい。」
 「じゃ決まりで。」
二人は行き先を決め、目的の場所へ綾子が先導する形になった。
 泉の死から一週間が経った。誰も傷がいえていなかった。会社のやり取りもどこかちぐはぐだったし、何よりそれまでそこでしゃきしゃきと働いていた泉の席が空っぽのま
まなのが、沈痛にすぎた。
 「……泉のとこのさ、花、月曜日になったら取り換えよっかなって。今の花たち、ちょっともちが悪くて。」
 「あぁ、そうなの。そういえばそうだったかも……。」
ふさぎがちになっている綾子は、なぜこの休日に愛と会っているのか、一瞬分からなくなったけど、それは大事な友人を失ったあまりの寂しさを残されたもので少しでもいい
から分かち合いたいというとても単純な動機だったということをすぐ思い出した。
 綾子は少し頭の中で考えた。
 「日曜日にお通夜があって、月曜日に御葬式があって…。火曜日から、昨日まで、普通に会社は営業した。でもさ、何か変だよね。」
 「変っていうのは?」愛が聞いた。
 「泉が死んで、一定の形式のことが終わっちゃうと、普通に社会は動いちゃって、でも私はずっとそれがおかしく思えて。」
二人の間にしばらく沈黙が訪れた。そして、
 「私もだよ。ずっと。」と、愛が哀しそうに言った。
 「課長は何回も間違えて筒井ー書類ー!なんて言って、みんなを驚かせては一人立ちすくんでいるし、私もその度に落ち込むし、でも仕事には集中しなくてはいけない、そ
れでずっと机にかかりっきりで十二時のベルが鳴ったりするとやったお昼だ三人でランチ、とか急に思っちゃって、隣を見るとそこは泉の空の席で……。あぁ、そうか、泉は
いないんだな、とか。」
 綾子はひっきりなしに語る愛の話をぼんやりと聞いていた。心の欠損。私たちはあまりに三人で居すぎたのかもしれない。
 「まだ受けとめることはできそうにない……。」
綾子の心のうごきを見透かしたかのように、しかし愛は語りを続けた。綾子も哀しかった。そうしてポツリポツリと二人が話していると、目的の蕎麦屋に着いた。
 「なんか、素敵なお店じゃない。」老舗といった、素朴でおもたくない外観の造りだった。綾子はお店の扉を開けた。いらっしゃーい、と、中から主人の威勢のよい声が返
ってきた。
 「あぁ、なんかここに来て急にお腹すいてきちゃった。」綾子はやっと笑った。それを見て愛も笑った。「私も。」
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