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”育成型アイドル”と呼ばれる環境において、ヲタクたちは指導者のような地位をふるまう。何を指導するのだろうか。
一般には、アイドルたちの魂を、というものかもしれない。しかし、そこを詳細に観察する必要がある。
アイドルたちは、立派なアイドルたちを目指す。しかしその具体的なゴールが常に明確とは限らない。思えば、”育成型アイドル”とは、ゲーム的リアリズムの産物なのかもしれない。とにかく、アイドルたちは、迷える子羊のように呈している必要がある。一方で、ヲタクたちはお金を払えば、そのアイドルたちを自由にプロデゥースするという権利を最終的に持つ。育成型アイドル産業の、法的性格を窮極的につきつめれば、お金とそうした権利の交換である。劇場を見る、握手会に参加する、確かにそれはそうなのだが、それもまたあくまで派生的なものにすぎない。お金を払えば、オタクはアイドルを自由に指導できる―。 これは、かのミシェル・フーコーが指摘していた、司牧型権力の現代的姿なのではあるまいか。
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