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 ハイデガーもドゥルーズも、その評価は多岐にわたっているので、哲学史的な位置づけは難しい。
だからこそ、両者がどのように重なり合っているのか、を示すことはとても重要なことになろう。

ハイデガーは、実存主義にも構造主義にも影響を与えたと言われる。彼の仕事の広さ、解釈をめぐる深さのあらわれである。
 しかし、ハイデガーはどちらかというと、ナチ加担で否定的にとらえる風潮がまだあるといってもいいと思う。彼の哲学の見直しが進んでいる中、ハイデガーを改めてとりあげることはとても意義がある。

一方で、ドゥルーズは日本で大評判で、それを覆すような議論は未だ現れていないといってよい。
 ドゥルーズが構造主義といかなる関係にあるかを考えるのは彼自身が意味がないと言っているが、いずれにせよ、ポスト構造主義者と言われ「ている」人々を「個別に見てみれば」、いずれも多方向に思考を深めている人たちであって、その議論の位置づけを行うことは今にあってもなお流動的であるといえるだろう。

 筆者は、生まれ的にも環境的にもドゥルーズに多大な影響を受けているので、そのことを自分でも踏まえつつ考察をすすめたい。

今回取り上げるのは、ドゥルーズの主著『差異と反復』である。というのも、この書物の序論でいきなりハイデガーに触れるからである。

 本書で論じられる主題は、明らかに、時代の雰囲気の中にある。その雰囲気のしるしとして、つぎの点を挙げてよいだろう。まず、ハイデガーが、存在論的≪差異≫の哲学にますます強く定位しようとしていること。(『差異と反復』財津理訳、13ページ)

 
 ハイデガーの存在論(存在とは何か?)とは有名だが、存在論的≪差異≫の哲学とは何だろうか?この点は、必ずしも明らかではない。

 続けて、ドゥルーズはこの本の探求方法を率直に述べている。引用が長くなるが、確認する。

 
 わたしたちは、わたしたちの外で、かつわたしたちの内で、このうえなく機械的で極度に常同症的なもろもろの反復に直面しつつ、そうした諸反復から、絶えずいくつかのちっぽけな差異、ヴァリアント、そして変容を引き出している――それが、現代における私たちの生であろう。しかしそれを逆に見れば、偽装しながら隠れているいくつかの秘めやかな反復が、ひとつの差異の永続的な置き換えによって活気づけられながら、わたしたちの内でかつわたしたちの外で、機械的で常同症的な裸の反復を再現しているのである。見せかけ(シミュラクル、括弧内引用者)においては、反復がすでに複数の反復を対象としており、差異がすでに複数の差異を対象としている。反復されるのは、まさに諸反復であり、異化=分化させられるのは、まさに異化=分化させるものである。生の務めは、差異がみずからを配分していくある空間の中で、すべての反復を共存させるところにある。本書は、はじめから、つぎのような二つの方向で探求を進めている。その一方は、否定なき差異という概念にかかわる方向である。まさしく、差異は、同一的なものに従属させられない限り、対立と矛盾に行きつくことはないだろうし、またそこに「行き着く必要もないだろう」からである。――他方は、反復という概念にかかわる方向である。たとえば、機械的あるいは裸の物理的な諸反復(≪同じ≫ものの反復)は、「差異的=微分的」なものを偽装し置き換えてゆくある隠れた反復のいっそう深い諸構造に、おのれの存在理由を見出すだろうからである。そうした純粋な差異と複雑な反復という概念は、いかなる機会においても、ひとつにまとまってまじりあっているように思えたので、以上のような二つの探求はおのずから合流することになった。差異の永続的な発散と脱中心化には、反復における置き換えと偽装が、密接に対応しているのである。(14ページ)

 本書のタイトル『差異と反復』には、(1)否定なき差異の探求、(2)反復の探求、これらが一つにまじりあっているので合流するようになった、と述べられている。
 否定なき差異とはどういうことだろうか? 引用した直前の文章では、こう述べられている。”わたしたちは、それ自身における差異を、そして<異なるもの>と<異なるもの>との関係を、表象=再現前化の諸形式から独立に思考したい。なぜなら、この諸形式は、その差異とその関係を、≪同じ≫ものに連れ戻し、それらをして否定的なものを経由させてしまうからである。” ドゥルーズの攻撃は、表象=再現前化の諸形式に向けられている。否定的に関連させられているワードは、対立と矛盾である。

 『差異と反復』では、表象=再現前化というキーワードが何回も取り上げられ、それが何であるか明らかになっていく。ここでは、違うものと違うもの、例えば肌の白い人と黒い人がいるとする。それらは≪同じ≫人間として扱われ、白人VS黒人という対立図式や、白人社会における黒人差別といった葛藤を引き起こす。そういった全体のことが、表象=再現前化というワードで示されていると理解してよい。そのとき対立や矛盾(葛藤)とは、どのような意味合いにおいて否定と表現されるのだろうか?

 さきほどの長い引用に立ち戻るが、ここには簡潔に、そして鮮明にドゥルーズによる現代の人々の描写がなされている。曰く、われわれは、諸反復から、絶えずちっぽけな差異、ヴァリアント、変容を引き出している、それが現代の生だと。私たちは似たような環境の中で、小さな違いをかけがえのないものとして、個人主義的に生きている。それは、ドゥルーズから見れば、ひとつの差異を永続的に置き換えることによって、きちがいじみた反復をずっと繰り返していることになるのだ。 そこでは差異は、ひとつのものとして取り上げられている。ここが肝要である。ちっぽけな差異やヴァリアントは、実は複数のものではない――。それらはひとつのものなのだ。この点をどう理解するか、ドゥルーズがどう論証するかが、ドゥルーズのハイデガーの理解にもかかわってくる。

 それにしても、「反復が複数の反復を対象とし、差異が複数の差異を対象とし」ているとは、いったいどのようなことであろうか。私たちにはまだそのイメージはつかめない。簡単な言葉で表されているが、それは数学的イメージにも転用できそうで、まだここでは言わんとしている意味は掴めない。

 引用文から一気に飛んで、67ページに飛ぼう。

一義性と差異
 結局、<≪存在≫は一義的である>という存在論的命題しかなかったのである。結局、唯一の存在論、すなわち、存在に唯一の声を与えるドゥンス・スコトゥスの存在論しかなかったのである。なぜドゥンス・スコトゥスかというと、彼こそが、なるほど抽象化してしまったのかもしれないが、とにかく一義的な存在を最高度の精妙さにまで仕上げることができたからである。しかし、パルメニデスからハイデガーに至るまで、まさに同じ声が、それだけで一義的なものの全展開を形成するようなひとつのエコーのなかで繰り返されるのである。(67ページ)

 どういうことだろうか。唯一の存在論とは。ハイデガーの存在論は、つきつめればあるひとつの同じ存在についての論でしかなかったというのだ。
 67ページの展開の中で何があったかは、次回で見ていくことになるが、ドゥルーズはさきほど述べた二つの探求の内の「差異」のテーマのほうで(第一章のタイトルは「それ自身における差異」)で、比較的早いうちにハイデガーの存在論をも検討したことになる。曰く、「ドゥンス・スコトゥスの存在論」、”存在”にただひとつの声のみを認める(与える、のほうが正しいのか)、存在の一義性。
 よく知られている話では、ハイデガーは、まずこの世界では、人間とかウサギとか、それぞれが「存在している」ことは分かったのだけれども、そこを飛び越えて、「存在」とは何かを問うたのだった。ドゥルーズは、それに「存在とは、ただひとつの存在でしかない」と答える。「人間が存在する」の「存在」も、「ウサギが存在する」の「存在」も、同じであると言う。

 ドゥルーズは、こう続ける――。
 ≪存在≫は、絶対的に共通なものであるからと言って、ひとつの類であるわけではないということ、これを理解するのに何も苦労することはない。(67-8ページ)

 ドゥルーズは、以下のようにして3つの区分を提示する。すなわち、複雑な<もの>として理解される命題においては、(1)命題の<意味>、(2)<指示されるもの>、(3)<指示するもの>。
 例えば、ある分かれ道の岐路に、看板があったとしよう。 命題の意味とは、「この分かれ道を右に行きなさい」、指示されるものとは「右に行くこと」、指示するものとは「看板の記号」である。そしてドゥルーズは、”重要なのは、形相的に区別される複数の<意味>が、それにもかかわらず、存在論的に一なるただひとつの<指示されるもの>としての存在(ある)に関係する・・・”と述べる。

 人間が存在する
 ウサギが存在する

この2文は、違う事態を指示しているが、それは主語においてのかぎりのことである。存在が異なるのでない。

 ≪存在≫は、それが述語付けされる当のものすべてについて、唯一同一の<意味>で述語付されるのだが、しかし<存在>が述語付される当のものは異なっているのである。要するに、≪存在≫は、差異それ自身について述語付されるということである。(69ページ)

(おしまい)

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