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 筆者は以前、上野千鶴子の『家父長制と資本制』を読んだときに、不満を感じて低評価を下したのだが、それを撤回しなくてはならないと感じている。

 というのは、彼女は同書において、「家族」という新たなカテゴリー、大きな物語、巨大システムを理論的に告発していることに成功しているからだ。

 当時での彼女の理論は、国家というカテゴリを含めるのを怠っていたので、自著解題でそれを自ら反省してもいる。
修正された後の、彼女の世界理論は注目に値する。

それは、3つのカテゴリからなる。国家、市場、家族の3つだ。純粋なマルクス主義の世界理論は、上部構造と下部構造の二つに分けて、下部構造を経済構造とし、経済構造が上の市場、国家を規定すると位置づけた。

上野の世界理論においては、上部/下部という構造はただちにあらわれない。
 それは、国家、市場、家族という3つの範疇が、それぞれの位置から円環をなし、それぞれから疎外された領域を形成している。
 例えば市場であれば、市場=資本主義は資本家(ブルジョワジー)を中心に取り囲み、労働家(プロレタリア)を疎外する。労働者は、市場という場にいながら、決してその中心に坐することができない。

同じように、国家においては、国民(というあやふやなもの)を中心に取り囲み、外国人などを疎外する。

上野の理論が新しいのは、この市場=資本主義システムと国家=帝国システムと同列に、家族システムをおいたことである。
 家族システムにおいては、主に男性が中心を取り囲み、子供や女性が疎外されることになる。

 そしてこの3つのシステムは、互いに影響もしている。例えば、家族システムからは、「一家の大黒柱」などとして、男性が市場に送り出される。そこでは男性は、労働者という疎外されたものになるだろう。市場システムが持続する条件として、労働者は絶えず送り出されなければならない。そこで、家族システムが市場システムにおける労働者の供給源の役目を果たしていることが発見されるのだ。

 このように、家族と市場というカテゴリは、一つの共犯関係を築いているのである。 

 国家と市場においては、市場から送り出された戦士が、国家において戦争兵士として犠牲になる例が20世紀には多々みられた。

国家と家族においては、家族政策という名のもと、国家が積極的に国民を作成する圧力をかけ、女性に負担をかけた。

国家、市場、家族という3つのカテゴリと影響関係、疎外を見ると、どこのだれが何から疎外されているのかが明晰に見えてくる。中でもフェミが主題とする女性は、この3つのカテゴリのいずれもから疎外されやすく、2重にも3重にも構造的に苦しんでいるということが明らかになった。

『資本制と家父長制』は上で見てきた見取り図をさらにくわしく分析しているが、このマルクス主義フェミニズムは今日においても妥当している。同理論の深化が問われるところだろう。

(おしまい)
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