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バランスと平衡感覚。平均台。バランスを崩した人、平衡感覚を失った人。無重力。偏り。肥大化。バランスの先はない。しかしバランスといったものに実体はない。私のバランスとは何か、私は一つの軸から成っているのではないか……。平衡感覚を失ったランナーは真夏の太陽に酔って死んだ。狂いやすい熱だ。熱病が今年も流行りすぎている。君も死なないように。熱病と死者…………。
保安組織は一つの巨大イデオロギーである。怪物的イデオロギー、イデオロギーの怪物たる化身。「明治の公安はモウ崩壊しちまったよ」――。
自分が偉人ではない、むしろ自分は酷い人間である、と気付くことはとても爽快なことなのだ。諦念とはまた違う。反対に、優秀な人間にとって自尊心の高さは、ほとんど必要条件だ。なぜなら、優秀な人間の個体性を守るため、優秀な人間が荒い世の中を生きていくためには、自己尊厳の高さが保たれなければならないからだ。しかし、自分はとりたててすごい人間ではない、と気付くことは、凡庸な安心感をもたらす。自戒はこのためにある。プライドから距離を取ること。私は安心。
憂鬱な気持ちがやがてやってきた、それは私にとって何故か新鮮な出来事であった――。憂鬱は、自責と絡まりあっていた。自責はほどよい大きさだった。自分を責めることによって、ある種のマゾヒズム的安心感が得られたのであった。それから憂鬱は私の昔の姿であった……。憂鬱な感情をしばし忘れていたが、私は少なくとも憂鬱と共に時を過ごしていたわけだ。憂鬱や自責が、忌まわしいものでなくなった。自戒は誰にでも必要な事柄である。自戒によって人は本来の生活に戻ることができる。自戒もたまにはいいということだ……ところで自戒とはキリスト教由来のものなのだろうか。ドイツ人の精神的なもの……魂を戒めること……。ある種の節制。節制された魂は健康な人生を送るきっかけになるのだ。あまりに自己セミナー的だろうか? しかし正しい自己啓発にいたるのがどれだけ難しいことか……。
自責の受忍、憂鬱へ陥ることの勇気。それがあれば大丈夫だ。私は魂の節度を語っていたのだ!
誰も死なない。誰も、何も、言葉も、塵のひとつでさえ……。
(「In rhythm3」 これで了)
******あとがき In ryhthm 3 とは
「インリズム3」とは、断章形式の哲学文、詩です。
いったい何に影響を受けてこういう作品を書いたのか、と聞かれた時、ジャック・デリダの散文や、カフカの日記、ジッドの日記などを挙げたのですが、意外にもこういう形式は多い。
今日発見したのでいうと、日本の哲学者(死んでいる)の大森荘蔵なんかも、断章形式の書物を遺しています。
個人的には、詩と哲学の中間だと思っています。切り分けられない。
こういうのを書くのはたまらなく楽しかった。 ここにも発表できたことをうれしく思います。
「In rhythm」じたいは続いていくのかもしれません。
misty
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