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感想文です。
小林康夫『存在のカタストロフィー』
はじめからいうと、最後まで読んでません笑 だから、この前著の『歴史のディコンストラクション』を読んでから、またこの本に戻ることがあれば読むと思います。
今回は感想文というより、小林さんが書かれていた内容で、とても興味深かったところについて語りたいと思います。
良心についての話。
良心とは、この本によると、もともと「共に―知る」の意味だそうです。 物事のよしあし、という意味は、もっぱら日本が明治近代化の際に、翻訳を適当につけちゃったらしいんですね。
「共に―知る」。 自分が知る、ではない。 それが良心。
ということは、良心が問われる、とかよくいいますが、本当のその意味は、「共に知る」のは誰か? ということです。
その主体には3つのカテゴリがあると続きます。
1、他者 2、神 3、自己自身
1の他者とは、他人。他人と一緒に何かを知る、それが良心。 事故の現場を見て、多くの人と共に自然の悲惨さを知る。これが1のケースにあてはまります。
2の神は、中世ヨーロッパ的、神と自己自身との統一を図る的なやつだそうです。
そして3番の自分。 この自己自身は、<語りかける私>です。 そして、この<語りかける私>には、<語りかけられる私>が対応しているはずです。 そして、
<語りかける私> = <語りかけられる私> ⇒ 強力な<私>、主体の発生(登場)
という近代の図式がここで打ち出される、というわけです!
このイコールが、例えばハイデガーなら、「決意」という概念を持ち出してイコール図式を完成させます。
ここからは、小林さんの主張を私なりにまとめたものです。
ポスト近代たる現代にあっては、この「共に―知る」の相手を、
anybody(誰でもないけど、誰か)
なのではないか、といいます。 このanybodyには、人間だけでなく、非人間的なシステムや、偶然的な環境なども含みます。 例えば、大震災の辛さと共に、その悲しみを分かち合うこと。 誰とも知らない、しかし誰かと、現実を共有しなければならない、その倫理性。それが現代で問われているのでは。誰かわからない人と共に―生きることが大切なのではないか。
そういうふうにまとまると思います。
私自身は小林さんの、結局はシンプルだけどおくぶかい主張に、肯定します。 anybodyとの共生。 共生という言葉はいろいろ歴史のアカを持っていますが、それでも、現代はそういう倫理が問われているのは確かだと思います。言い換えれば、現代という時代の中で”良心”が問われるのは、大事になるのは、常にそういう状況の下だということ。
面白かったです。
(終わり)
小林康夫『存在のカタストロフィー』
はじめからいうと、最後まで読んでません笑 だから、この前著の『歴史のディコンストラクション』を読んでから、またこの本に戻ることがあれば読むと思います。
今回は感想文というより、小林さんが書かれていた内容で、とても興味深かったところについて語りたいと思います。
良心についての話。
良心とは、この本によると、もともと「共に―知る」の意味だそうです。 物事のよしあし、という意味は、もっぱら日本が明治近代化の際に、翻訳を適当につけちゃったらしいんですね。
「共に―知る」。 自分が知る、ではない。 それが良心。
ということは、良心が問われる、とかよくいいますが、本当のその意味は、「共に知る」のは誰か? ということです。
その主体には3つのカテゴリがあると続きます。
1、他者 2、神 3、自己自身
1の他者とは、他人。他人と一緒に何かを知る、それが良心。 事故の現場を見て、多くの人と共に自然の悲惨さを知る。これが1のケースにあてはまります。
2の神は、中世ヨーロッパ的、神と自己自身との統一を図る的なやつだそうです。
そして3番の自分。 この自己自身は、<語りかける私>です。 そして、この<語りかける私>には、<語りかけられる私>が対応しているはずです。 そして、
<語りかける私> = <語りかけられる私> ⇒ 強力な<私>、主体の発生(登場)
という近代の図式がここで打ち出される、というわけです!
このイコールが、例えばハイデガーなら、「決意」という概念を持ち出してイコール図式を完成させます。
ここからは、小林さんの主張を私なりにまとめたものです。
ポスト近代たる現代にあっては、この「共に―知る」の相手を、
anybody(誰でもないけど、誰か)
なのではないか、といいます。 このanybodyには、人間だけでなく、非人間的なシステムや、偶然的な環境なども含みます。 例えば、大震災の辛さと共に、その悲しみを分かち合うこと。 誰とも知らない、しかし誰かと、現実を共有しなければならない、その倫理性。それが現代で問われているのでは。誰かわからない人と共に―生きることが大切なのではないか。
そういうふうにまとまると思います。
私自身は小林さんの、結局はシンプルだけどおくぶかい主張に、肯定します。 anybodyとの共生。 共生という言葉はいろいろ歴史のアカを持っていますが、それでも、現代はそういう倫理が問われているのは確かだと思います。言い換えれば、現代という時代の中で”良心”が問われるのは、大事になるのは、常にそういう状況の下だということ。
面白かったです。
(終わり)
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