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本の感想、雑感、小論考など。 小説、簡単なエッセイはこちらで→「テイタム・オニール」http://ameblo.jp/madofrapunzel2601/
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バランスと平衡感覚。平均台。バランスを崩した人、平衡感覚を失った人。無重力。偏り。肥大化。バランスの先はない。しかしバランスといったものに実体はない。私のバランスとは何か、私は一つの軸から成っているのではないか……。平衡感覚を失ったランナーは真夏の太陽に酔って死んだ。狂いやすい熱だ。熱病が今年も流行りすぎている。君も死なないように。熱病と死者…………。

 保安組織は一つの巨大イデオロギーである。怪物的イデオロギー、イデオロギーの怪物たる化身。「明治の公安はモウ崩壊しちまったよ」――。

 自分が偉人ではない、むしろ自分は酷い人間である、と気付くことはとても爽快なことなのだ。諦念とはまた違う。反対に、優秀な人間にとって自尊心の高さは、ほとんど必要条件だ。なぜなら、優秀な人間の個体性を守るため、優秀な人間が荒い世の中を生きていくためには、自己尊厳の高さが保たれなければならないからだ。しかし、自分はとりたててすごい人間ではない、と気付くことは、凡庸な安心感をもたらす。自戒はこのためにある。プライドから距離を取ること。私は安心。

 憂鬱な気持ちがやがてやってきた、それは私にとって何故か新鮮な出来事であった――。憂鬱は、自責と絡まりあっていた。自責はほどよい大きさだった。自分を責めることによって、ある種のマゾヒズム的安心感が得られたのであった。それから憂鬱は私の昔の姿であった……。憂鬱な感情をしばし忘れていたが、私は少なくとも憂鬱と共に時を過ごしていたわけだ。憂鬱や自責が、忌まわしいものでなくなった。自戒は誰にでも必要な事柄である。自戒によって人は本来の生活に戻ることができる。自戒もたまにはいいということだ……ところで自戒とはキリスト教由来のものなのだろうか。ドイツ人の精神的なもの……魂を戒めること……。ある種の節制。節制された魂は健康な人生を送るきっかけになるのだ。あまりに自己セミナー的だろうか? しかし正しい自己啓発にいたるのがどれだけ難しいことか……。

 自責の受忍、憂鬱へ陥ることの勇気。それがあれば大丈夫だ。私は魂の節度を語っていたのだ!

 誰も死なない。誰も、何も、言葉も、塵のひとつでさえ……。

(「In rhythm3」 これで了)


******あとがき  In ryhthm 3 とは

 「インリズム3」とは、断章形式の哲学文、詩です。
いったい何に影響を受けてこういう作品を書いたのか、と聞かれた時、ジャック・デリダの散文や、カフカの日記、ジッドの日記などを挙げたのですが、意外にもこういう形式は多い。
 今日発見したのでいうと、日本の哲学者(死んでいる)の大森荘蔵なんかも、断章形式の書物を遺しています。

 個人的には、詩と哲学の中間だと思っています。切り分けられない。
こういうのを書くのはたまらなく楽しかった。 ここにも発表できたことをうれしく思います。
 「In rhythm」じたいは続いていくのかもしれません。

misty 

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 ペンと紙から何が生まれるか? 聖書の新しい解釈、革命理論、ジャン・ジュネの獄中手記……。通常の力とは無縁の、ある種の仕方での力が生まれるのだ。精神的力動。それはすぐさま届かず、家族や友人に届かず、時を超え、空間を超えて、二百年後の地球の裏のみすぼらしい少年によって初めて読まれるのだ。新しい歴史の証人としてお前の名前は刻まれるだろう、墓碑に、紙に、そして様々な人々の脳裏の裡に。

 あまりに騒々しい、テレビ空間とネット空間。テカテカにムースを塗り付けた髪の男が言う、「お宅の家に夢は要りませんか!」 要らない情報ばかり、不必要なものは私たちの体内の奥底に溜まって、異臭を放つ。塵に等しい社会。百本足のムカデが走る、浸食する、私の体内と、テレビ空間を。喰らえ、喰らえ、なじって、喰い尽くし、ただ屍をのみ貪り食う悪魔となるのだ……お前は人間の魂の掃除機であり、ついに人間は蟲たちに取って代わられた。

 金色の髪の子、茶色の髪の子、創造性がない。自由な髪の色を許さない社会は、自由を重んじていない。紫色の髪色をしたコンビニ店員、マックで見かける緑色のメッシュが入った男、失恋したあとにショッキングピンクに染め上げた貴方の髪の整い。職業柄が悪い、挑発的だから悪い、そういうのが馬鹿げていると思うのに、いつまでたっても変わらない。

 死人が世界を歩く。死人は既にあの世の世界だ。死人は現世に戻ってきている……だが何の為に? 死人の行進。だれだれが、いつ死んだ、島で死んだ、どう死んだ、自殺、他殺、交通事故、強姦、戦争、世界の数だけ死の理由があった。死人は何を求めてこの世を行進するのだろう? さらなる生を求めてか? 死人の一人がこう叫んだ、「なんだぁ、ここも地獄じゃねぇか!」 それを教えるためなのか、つまり、あの世は作られる必要がなく、ここでこうして生きていること自体が死に没入していることと等しいのか。死は栄光となったのだ。今や死にたがる人が一番多く、それを勝ち取ったものは栄えある聖者である――。

 敵がいる! 目の前にだ! 敵をやっつけろ! 敵は機械だ、機械をはちゃめちゃに壊してしまえ! 我をぼろぼろになるまで働かせ、金もくれず、ただひたすらに従属させるこの機械……剥き出しの暴力なら此処にある。鉄パイプを振り回す、ガラスが割れる、エンジンが破壊される……。人間、お前も歯車の一部だ。人間、お前も所詮〈機械〉の一部品に過ぎないんだよ……。なにぃ、敵は私の中だ! 私を殺せ! 私ごと殺せ! 脳を拳銃でぶっ放す。

 日が窓越しに確認できるのは良いことだ……部屋の内と、外で分かれる。涼しいクーラーの風が入って、心地よい。日はそれだけでエネルギー。ベッドに横たわって、まだ許される惰眠にかじりついている人もいる。あと熱いコーヒーさえここにあったらなぁ! 静謐を好む。静謐の中に感じ取れる、心の、精神の、内的情動が好きだ。そういう世界で生きていたい。それはただの願望かも知れない。でも太陽は誰にも等しく在る。空気のなかの熱の粒子となって……そして窓越しに現れるのだ、幾度も幾度も、はじまりの合図として。

(続く) misty
In rhythm 3 ――(自戒) 1


 言ってはならないことが在る。それは言ってはならないが前向きに進むためには必要な事柄である。おそらく大切すぎるがゆえに言ってはならないのである。言いかけた言葉、を、飲み込んで……。君はそれでいい。君の心の内だけに存在すればよい。しかし、誰かに話したとしても、その誰かは貴方を認めてくれるだろう。そう、そういうことだ、と。しかし、おそらく話してはならない。どのみち、しゃべりすぎはよくない……。


 言葉を得るために言葉を離す。放つ。言葉は確証。のくせに訂正可能。え、ことば、言葉なんてひどいものだよなんににもなりゃしない! 幸せにはならない。言語学的転回など以ての外。言葉をしゃべる存在はひとまず人間であり、こんなにも過剰に話すのは人間だけであり、ゆえに人間は瑣末。


 君をリメイクする。顔の形にあった髪型……もちろん君の希望に沿って話はすすめられなければならない。ロングにしたいのであれば、僕は顔の形との相性ゆえにショートが似合うんだ、と主張し、結局セミロングに落ち着く。あと君は唇がとても豊満で魅力的だ。いい香りのするリップクリームを持ち歩くというのはどうだろう……香りの種類は豊富。甘いのだけじゃないと思う……柑橘系の香りのリップクリームが無いかどうか今度探してみる。瞳の大きさはもうそれだけで君の武器だよ……分かってる。結局自分好みの女にしたいだけでしょ? 僕は答える。もちろんそうだ。そうだけど……たぶん僕も「カワイイ」の正体をつきとめたがっている。僕の欲望が。僕の欲望だ。「カワイイ」に溢れる社会がいったいどこに向かおうとしているのか、「カワイイ」に翻弄される僕はいったい本当は何を求めているのか、心の奥底で知りたいんだ……カワイイ社会、カワイイ区、カワイイ女の子、カワイイ男の子、カワイイ犬、カワイイ猫、カワイイ爬虫類、カワイイ歯ブラシ、カワイイTシャツ、カワイイ車、カワイイ観葉植物。Hello, Kitty1!! YOU ARE KAWAII!! ところで君は美しい。ウツクシサは僕にはリメイクできない。リメイクできないウツクシサ、美、美は精神的概念か身体的概念か。これは問い間違い。君と何度も触れあっていく。


 光を崇拝するか、光を手中に入れるか、そうではなく、光の中心と成ることが貴方にはできるか。


 自らに向かえ! 自らにカメラを向けるほど自分の内奥を勘違いしやすいようになっている。着飾りすぎるな。禅をするのもよいだろう……ただし考え事を無にしてはならないだろう。いつか自分なりの答えを出す。それは時間をかけてやがて他人や家族やさらに将来の自分から覆されるかもしれない、しかしとりあえず答えに辿りつけ、とりあえずの結論に! 世界にカメラを向けろ、そしてその世界に自分が含まれていることを理解せよ。


 ヘゲモニーばかり……闘争ばかり……争いばかり……暴力ばかり……世界を遠くから見ることしかできない近くで感じるにはあまりに刹那に過ぎるから。闘争を逃走に変えたい闘争から離脱したい……そう思うこともある。なぜ私は暴力を振るうのか? 暴力哲学が常にあなたにも必要、だけど君はペンと紙をもっていやしない……怠惰倦怠疲労倦み虚無誤認酩酊朦朧曖昧虚偽惨事。酒はいらない。金もいらない。いや、待ってくれ……! 千円だけ貸してくれ、お駄賃を俺にくれ。


 マラルメの詩も、people in the boxの歌詞も、似た処がある……マラルメの詩句は今読んでもさっぱり分からないが、言葉の配置がとても綺麗に思えて、単語やセンテンスが愉しげにダンスをしているような、そういう立体感さえ見えてくるのだ。People in the boxの歌詞も、大半は訳が分からなく、時たま激しすぎるほどに鋭い表現が胸の裡に響いてくる。彼らは言葉のさらに先をいっている。言葉を使いながら言葉ではないものに方向が向いている。言葉の先。それは、発話をする人間のさき。


 哲学は必要か、人文科学は役に立つのか、という問いは、そもそも日本で成り立つものである。つまり、社会が哲学や人文科学を役に立たせるという前提を折り込んでいる社会では、それらは役に立つのである。哲学や人文科学が役に立たないとしている社会ではそれらは役に立たない。日本は境界例である。大学などの社会制度は西洋由来でありながら、未だに人々の心的意識は前近代の産物を引きずっている。だからといって啓蒙が必要になるのか? 啓蒙とは光、民衆を導く光の活動のことである。神は死んだのだ……。


 生まれたことが悲劇だ。ならば生きることを喜劇に変えよう。


 僕の戦争論、貴方の戦争論、僕の平和論、彼の平和論、先生の非―暴力論、一個下の幼馴染の暴力―哲学、二軒目の印刷会社の社長の暴力論、広島の平和論、議論することが戦い、戦いから逃れること、独り言をいうこと、戦争論から逃れて文学の真っ只中へと向かうこと――。


(続く)
055ひっそりと再開。
幾つかの記事を非公開にしました。あまりにも見栄えが悪すぎるので…。

デザインも変えました。

 通常のブログ記事を書くかどうかは分かりませんが、いま新しく書いている小説などをアップしていけたらなと思います。

 夏から「夏の夜に語るは夢々」という、二人の女性が会話をするような小説を書いています。

それをアップします。

夏の夜に語るは夢々  作者:misty

(1)

 ねぇ、桃子、なんだって私たちはいつも同じ場所にいるんだろうね。もちろん、すれ違う時だってあった、すれ違うどころか、ぜんぜん会ってもない期間とか。でも、そんなのごく僅かだね。私たちは生まれたときからご近所さんだったし、あ、生まれた病院まで一緒だよね、しょうがない、田舎育ちだもんね、所詮ね、私たちは。そう、生まれたころからご近所さんだし、もう幼稚園では大の仲良しだし、それが、変わることは、なかったんだね――ずぅっと。不思議だなぁ。私が、一番愛した人とか、付き合った人よりも、そんなもの比べ物にならないくらい、一緒にいるんだね。高校を出たらさ、桃子、あなたは普通の大学に行きたいって言ってた時もあったから、まさか私が受けてた専門学校を桃子も受けてたって全然思いもよらなかったよ、高校の進路を考えるときはさ、さすがに私たちも色々考えたよね。無駄話になるけどいい?……私は今でも自分がやりたいこと、なりたいものって何かはよく分かってないけど、私なんか進路ってすごく焦ってたんだよね。うん。勉強ができる桃子が羨ましかった……実は。えへへ。桃子のきりっとした、自立した感じ、それって全然昔から変わってないと思うなぁ、自立とかは言い過ぎかもしれないけど、とにかく桃子は昔から自分の軸みたいなものを持っていた。桃子は強い人だと私は思う。そして私はいつも弱虫。今でも。
 専門学校はさすがに課が違ったけど、私たちはそこでもいつも一緒にいたね。一……影山くんはさすがにいなかった。私たちの世界から消えていた、ね。消えていたというか、自分が飛び立ったというか……。とにかく影山くんなしのはじめての時期で、結局私たちは離れることがなかった。これはけっこうすごいことだと思う、うん、私は。私は影山くんが私たちの世界に現れてから、何となく三人でこの地球は回っていくのかな、なんて、考えたことがあったんだよ。若気の、青春の考え事だけどね。でも私たちは影山くん抜きで世界を進んでいけたんだね……。

 うん、杏子、私はこの際だから言おうと思う、大事なこと。でも、杏子には分かっていると思うの。最初から重たい話を持ってくるなって? うん、うん、でも……。私、ずっと気がついてたよ。影山と一緒にいるべきなのは、杏子、あなたのほうだって。私は、影山にずっと憧れていた。影山の傍にいたかった。でも、釣り合わないのが分かっていた。影山の隣に本当にいるべきなのは、あなたの方だって思ってた。でも若かったから……私は悔しくて、それを分かりたくなくて、それで色々杏子と張りあったりしたんだろうね、同じ人を二人で取りあったりしたんだろうね、懐かしいね。影山はどうしているんだろうね。あいつのことだから、きっと、どんな世界にいても、立派にやっているんだろうね。ほんと何やってるんだろう。外資系のサラリーマンとか? 今頃海外を飛び回っているかもしれないね……あとは研究者になったりだとかさ。頭、良かったもんね。だから、うちらは高校でても地元の専門に通ったけど、影山だけは一人東京に出て行っちゃったもんね……。あいつがさぁ、大学の夏休みのときにこっちに帰ってきて、初めて私たち三人で会ったじゃん、覚えてる杏子? 私は、もうその時の影山が、昔の影山じゃなくなったな、て感じたんだよ。何というか……遠い人のように感じた。しゃべり方とか、私たちの三人の中にいても、なんか違和感があった。私たち二人はそれだけ距離を縮めて、逆にあいつに対する空気を薄めていたように思う。あの時の影山、何だか緊張してた。笑う時、いつも無理して笑ってた気がする。別の空気をまとってきたんだ、この人は、と思った。私と杏子が同じ地元の専門に通っていたとき、この人だけは東京で暮らして、東京の空気に囲まれて生きていたんだな、て。

 そうだね、桃子、私と、影山くんとの間でさえ、なんだか胸苦しくなる瞬間瞬間があったよ。私たちは、昼にいつもの駅で待ち合わせて、それから街をぶらぶらして、カラオケに行って、それからご飯を食べに行った。厚い日だったね。ねぇ、覚えてる桃子、プリクラだってとったんだよ、三人で! おかしいよね。私、本当に高校時代に影山くんと付き合っていたのかな、なんて思ったりする。私と、影山くんの間には、いつも桃子がいたから。私たちは三人で一つだった、そんなときがあったように思う。カラオケでは、懐かしい曲を歌ったりして、みんな盛り上がっている風だったけど、そのうち影山くんが、お酒の飲める所に入らない? て言い出して、それは私たちは別に構わないけど、て言ったら、影山くんは妙に、それまで飲み屋なんて行ったことなかったくせに、張りきっちゃって、結局彼が先頭になって、しばらく店探しをしたよね。あのとき、変だったなぁ。どのお店でもよかったのに、ここは安っぽいチェーン店だ、ここは鶏肉がいいけど桃子は脂っこすぎるモノは駄目だから辞めにしとこう、なんて仕切っちゃってさ。誰も頼んでないのにね。それで入ったお店が、洋風の、ちょっとお洒落な所で、それまで私と桃子はそんな敷居の高いお店に入ったことないから緊張しちゃって、なのにそのお店に連れて行った影山くんが一番挙動不審で! おかしかったな。それで私たち、ほんとどういう料理なのかよく分からずに注文して、出されたものを口にするでもなく食べて、桃子、覚えてる? あのお店のチーズフォンデュだけはとても美味しかった。だから、私たち、今でもあのお店に行くよね。影山くんだけは絶対に覚えてないけど。変な話聞きながら、とろけた熱々のチーズを口に頬張りつづけたの、覚えてるなぁ。

(続)
綾子の場合
 陰鬱だった。こんなにも朝が重たいものとは思われなかった。貝原綾子はベッドから身を起こし、脇に置いてある目覚まし時計に目をやった。八時十五分。休日には早ぎか
、と思ったが、綾子はそのまま朝食の準備をした。
 死んだ泉のことが思われた。今はそれしかなかった。あんなに可愛くて素直で、弱気なところもあるけれど自分の意見をしっかり持って生きていた泉……。悲しくて仕方が
なかった。
 どれだけ状況を調べても、筒井泉は誰か他の者によって殺されたという証言や物的形跡は、一つも出てこなかった。しばらくして警察は彼女を自殺と認定して事件の捜査を
終えた。だがそれこそ、綾子たちからしてみれば怪しかったのだ。泉が自殺する理由なんて、それこそ一つも見当たらなかったからだ。
 泉のひとつ年が上の綾子と、それから泉と同級の梅元愛は、大の仲良しだった。綾子は、一度大学受験を失敗して一浪して大学に入ったので、ストレートで四大に入りスト
レートで卒業した泉と愛たちと、学年は同じだった。彼女たちはみな同じ大学で、それぞれ出身は文学部、法学部、そして綾子は経済学部とてんでばらばらだったが、こうし
てそれなりに大手企業の同じ職場に就いていたのだった。
 綾子はストレートで大学に入学していった優秀な同級生にちょっとした引け目を感じており、それは大きなものではないのだけれども、そういった同級生よりも、自分の属
した学年の子たちの方ををより大切に想った。そもそも三人は就職活動でそれぞれ知り合った。当時は就職難と言われる時代で、三人は自分が受けた企業の数の多さを皮肉に
競い合っては、笑うことで未来の不安を共有していた。綾子からすれば、泉は三人の中でももっとも聡明な子だった。会社の中でも目立つ存在だった。男子の社員さえ彼女の
聡明さには一目を置いていたと思う。そんな泉は可愛らしい一面があって、それは実家で飼っているペットの犬への溺愛だった。彼女の溺愛はちょっとどころのものではなく
、自社の机に何枚も写真立てを置いていたし、この子がいる限り私は結婚しないと言ってはよく私たちを笑わせてくれた。
 綾子は冷蔵庫を開けて、中からヨーグルトをひとつ取り出した。食欲はほとんど無かった。でももうあれから一週間も過ぎたのだ。
綾子はスプーンでヨーグルトをすくって、その酸味のきいた甘みを口の中にゆっくり広がらせた。気分に反して外は晴れ、綾子の座っている所まで薄い光が射しこんでいた。
 昼、愛と会う約束をしていた。
 梅元愛は、可愛らしい女性だった。同じ可愛いという形容でも、たとえば筒井泉のそれは知的雰囲気を感じさせつつも、どこか幼くみんなから慕われるような妹的なもので
あるとしたら、愛のそれは、最近の流行りでいうところの森ガールのファッション的な、女性が可愛いと思う可愛さだった。愛は緑のパーカーに、白のフリルスカートを履い
て待ち合わせ場所に現れた。綾子が気付いて、「やほ。」と力なく声をかけると、愛は
 「ごめん、待った?」
という言葉とは裏腹に、にこやかな顔をみせて対面した。
 「どこ行こっか。」
 「んー、この前はパスタだったから、今日はもっとがっつりいっちゃう? お肉屋さんとかさ。」
綾子は苦笑した。
 「ごめん、私そんなに元気ないんだ。」
 「そうだよね……。当たり前だよね。ごめんね。」
 「ううん、いいの。それより、私、前から行きたいと思ってたお蕎麦屋さんがあって、そこはどうかな?」「それ、いいね!お蕎麦、食べたい。」
 「じゃ決まりで。」
二人は行き先を決め、目的の場所へ綾子が先導する形になった。
 泉の死から一週間が経った。誰も傷がいえていなかった。会社のやり取りもどこかちぐはぐだったし、何よりそれまでそこでしゃきしゃきと働いていた泉の席が空っぽのま
まなのが、沈痛にすぎた。
 「……泉のとこのさ、花、月曜日になったら取り換えよっかなって。今の花たち、ちょっともちが悪くて。」
 「あぁ、そうなの。そういえばそうだったかも……。」
ふさぎがちになっている綾子は、なぜこの休日に愛と会っているのか、一瞬分からなくなったけど、それは大事な友人を失ったあまりの寂しさを残されたもので少しでもいい
から分かち合いたいというとても単純な動機だったということをすぐ思い出した。
 綾子は少し頭の中で考えた。
 「日曜日にお通夜があって、月曜日に御葬式があって…。火曜日から、昨日まで、普通に会社は営業した。でもさ、何か変だよね。」
 「変っていうのは?」愛が聞いた。
 「泉が死んで、一定の形式のことが終わっちゃうと、普通に社会は動いちゃって、でも私はずっとそれがおかしく思えて。」
二人の間にしばらく沈黙が訪れた。そして、
 「私もだよ。ずっと。」と、愛が哀しそうに言った。
 「課長は何回も間違えて筒井ー書類ー!なんて言って、みんなを驚かせては一人立ちすくんでいるし、私もその度に落ち込むし、でも仕事には集中しなくてはいけない、そ
れでずっと机にかかりっきりで十二時のベルが鳴ったりするとやったお昼だ三人でランチ、とか急に思っちゃって、隣を見るとそこは泉の空の席で……。あぁ、そうか、泉は
いないんだな、とか。」
 綾子はひっきりなしに語る愛の話をぼんやりと聞いていた。心の欠損。私たちはあまりに三人で居すぎたのかもしれない。
 「まだ受けとめることはできそうにない……。」
綾子の心のうごきを見透かしたかのように、しかし愛は語りを続けた。綾子も哀しかった。そうしてポツリポツリと二人が話していると、目的の蕎麦屋に着いた。
 「なんか、素敵なお店じゃない。」老舗といった、素朴でおもたくない外観の造りだった。綾子はお店の扉を開けた。いらっしゃーい、と、中から主人の威勢のよい声が返
ってきた。
 「あぁ、なんかここに来て急にお腹すいてきちゃった。」綾子はやっと笑った。それを見て愛も笑った。「私も。」
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