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かつては、カラオケというものが存在しなかったことをみなさんは覚えていらっしゃるだろうか?

 カラオケは、1990年代に発明された。カラオケとは何か。

それは、一言で言えば、「密室を有料で借りて、歌を思いっきり歌う」というサービスである。
 それまで、カラオケが登場する前までは、歌はひたすら聞くものであった。

 少数の歌い手と、大多数の聞き手。それが、カラオケ以前の音楽のスタイルだ。大多数の人々にとって、歌とはひたすら聞くものとしての、受動的なモノだったのである。

 その本質を、カラオケは一変させた。 歌を、自ら積極的に歌うものに変えたのである。
 カラオケはあっという間に広まり、今では若者のみならず世間一般の娯楽たり得ている。

 時間つぶすけどどうする? カラオケにする? くらい、自然なことになった。

 本稿が示すのは、そのカラオケで起きた現象が、さらにネット時代に突入したことで、「ボカロ曲好き」という事態まで推し進めた、ということだ。

 「ボカロ好き」な人は、初音ミクなどのツールを通して生まれた。
それは、人が単に聞きたい歌の対象を変えたという訳ではない。

歌そのものが、変化したのだ。
つまり、有料で歌える歌から、さらに無料で歌える歌に変わったのだ。

よく「ボカロ好きですー」という人がいるが、その人は確かにボカロ曲が好きではある。
 しかし、もっと正確に言うなら、「ボカロ曲を唄えるということそのもの」が好きなのだ。
 つまり、好きなのは、曲ではなく、歌う行為だということ。

歌は、アクティビィティたるものとして新しく変容しつつある。
 ネットに無料という条件が重なったからこそ、生まれた現象である。 歌は変身したのだ。

(おしまい)
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高橋みなみはどこへ行くのだろう。

AKBって、元をたどれば「それぞれの夢をかなえるためのグループ」。

ウリにしているのが、またメンバーの多くが自慢にしているのは、AKBは過程であって目標ではないということ。

 それは、僕からしたら、AKBはあくまで通過点に過ぎないという素晴らしい気持ちのはずだ。

それならば、高橋みなみは、なぜ今もAKBにいつづけるのだろう。それが分からない。そして、AKBに居続けなければならない理由がよく分からないのは高橋みなみ自身が1番気付いているんじゃないかと思うのだ。

 前田敦子は、初期からセンターとしてグループをひっぱて行くことを任された。彼女自身の目標とは別に、グループでそういった明確な役割が与えられた。

AKBは、もう売れた。前田敦子が引っ張らなくてもいいくらい、大きすぎる存在になった。

 彼女の卒業、タイミングは完璧である。 自分はこれ以上グループにいる必要はない、だからもっと高みに出たい・・・。

 一方で、たかみなは、念願だったはずの「ソロ歌手」になることが確約された。これは彼女自身が「夢」と語ったことだ。そして夢は、本当に叶えられた。

 前田敦子がいないと、いやいても、たかみなは精神的支柱である。

しかし、彼女はいつまで同じグループに捉われなければならないのだろうか。

それは彼女自身が一番迷っていることじゃないのか。

 自分磨きをもっとしていきたい、いやしていかないとまずいこの時期に、一方で総監督というよく分からない重責のポジションを任されて、気持ちは真っ二つになっているはずだ。

 AKBの第二章とは、「さてここまできた。つまり、東京ドームという『夢』は叶えられた。さて、夢がかなったグループにいるメンバーはそれからどうする?」だ。

増田有華は、今舞台という素晴らしい場所で活動していて、本当に幸せらしい。

 夢をかなえつつあるのだ。

 グループに入り続けることの意味は何なのだろうか。 もう十分世間的な認知も高い麻里子様も、いつまでかかってきなさいと言われるのか。

 正直、AKBという場所でまったりしてほしくない。夢が叶ったら、次のステップにさらに進むため、ケジメをつけてほしい。

 馴れ合いの場所じゃない。夢をかなえるための過程の場所だ。

高橋みなみはどこへ行く。

 僕は、彼女はもっと自分を高めて、自分磨きを追及していってほしいと願っている。


おしまい

 
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